原作は複雑で膨大で、どう取り組むのか見当もつかないものだったが、脚本の石森史郎が「シナリオ」誌で自信まんまんのコメントを寄せていたのを読んではいた。カメラに向かって切り口上でしゃべる人物、時制を飛び越えて交錯する画面構成、それからどしゃぶりの雨と、初めちょっと「羅生門」を思わせたが、あそこで全部で七人に限られていた登場人物はあれよあれよと何十人にも増え、それと共にカットとカット、場面と場面の反射もまるで結晶の生成を見ていくように増殖し煌めくのは、いささか壮観。
宣伝では当然のように原作と監督の名前しか出ないが、この大仕事はきちっとここで書き留めておきたい。
東京の荒川・江東あたりのかつての下町風景はどうかするとむしろ幻想のように描かれるが、柄本明の旅館の朝食の味噌汁の具がアサリというのは生活感を出していると思ったと、大詰めの大事なところでさりげなくまた出てきた。
高度成長後の日本の病理を通り越して全体像になった観のある、家族とそれにつながる共同体の崩壊と拝金主義の象徴のような犯人(四分の三だが)像の薄気味悪さ。翻って今を見て、バブルの頃のビョーキぶりすら、ちょっとノスタルジックにすら見える。
(☆☆☆★★)
本ホームページ
宣伝では当然のように原作と監督の名前しか出ないが、この大仕事はきちっとここで書き留めておきたい。
東京の荒川・江東あたりのかつての下町風景はどうかするとむしろ幻想のように描かれるが、柄本明の旅館の朝食の味噌汁の具がアサリというのは生活感を出していると思ったと、大詰めの大事なところでさりげなくまた出てきた。
高度成長後の日本の病理を通り越して全体像になった観のある、家族とそれにつながる共同体の崩壊と拝金主義の象徴のような犯人(四分の三だが)像の薄気味悪さ。翻って今を見て、バブルの頃のビョーキぶりすら、ちょっとノスタルジックにすら見える。
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