還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

復帰して2~4週間

2011年04月02日 | 日記
復帰して1週間も経つとだんだん仕事が忙しくなってきました。
2週間は定時操業で何とかこなせましたが、そろそろ限界に…
3週間目から、残業を始めざるを得なくなりました。
といってもまだまだ疲れやすいので、やっても1時間程度です。

出張は当面は禁止なので、代わりの人を探すことになっていたのですが…実際にそんな話が2件立て続けに起こりました。
行かなくてすむのは楽は楽ですが、楽ばかりしていて果たして良いのだろうか…?
いつか埋め合わせしなければ。

職場のパートさんに元オペナースだった人がいるのですが、復帰した私を見て驚かれました。彼女が現役看護師だった頃は、手術後退院まで1ヶ月。退院して社会復帰までは何ヶ月もかかるのが普通だったそうで、今は10日~2週間程度で退院、退院後1~2ヶ月で復帰が普通と説明すると、目を丸くしていました。ついでにカッターシャツのボタンを1つだけ外して、手術創を見せました。
「えー、きれいですねー」
と言う反応でした。
顔色も良く、病気した人間には見えないそうです。

11月半ばには、見舞金や給付金の申請を行いました。
会社の共済会に対し、1ヶ月の病気欠勤による見舞金
欠勤の月数が2ヶ月に満たないので申請できるのは1ヶ月分だけ。
全労済に対し、18日分の入院給付金
申請はこの2件です。

押印するハンコについては、シャチハタはダメと書かれています。
しかし会社の引き出しにはシャチハタのハンコしか置いてありません。
しょうがないので申請書は家に持って帰りました。
私の苗字はシャチハタの標準品にないため(私の姓は全国で200軒あまりでわりと珍しい)、数年前に大枚(でもないか…)はたいてオーダーしたんです。関係ないですね。しかし、途中の駅で降りてはんこ屋さんまで2回も行きましたから…ハンコ作るときはいつもこうなんです。

話がそれましたが、この時点では来年2月になれば、医療費還付請求をしなければ…と思っていました。

体調は快復率90%程度となり、トピックとして書くようなことはなくなってきました。
が、しかし、立ち上がったときに目まいやふらつきがするようになってきました。必ずなるのかというとそうでもなく、多くて1日数回、ほとんどない日もあります。
薬(アーチスト錠)の副作用と思われます。

目まいというと手術翌日ICUで目が覚めて、ベッドを起こしてもらったとき天井が猛烈にぐるぐる回りました。戻すと治る、また起こすと目が回る…の繰り返しで朝ご飯が大変でした(笑)
パンひとかじりと牛乳一口で下げられてしまいました。
食欲もあまりなかったのですが、牛乳はもう少し飲みたかった…ですが、そういう元気もなかったのでした。
そのご飯ですが、手術翌日はお粥と聞いていましたが、昼も普通のご飯でしたし、結局お粥は食べずじまいでした。一度くらい食べたかったかも。そういえば、目まいは昼には治りました。

術後2ヶ月に差し掛かってきたので、自動車の運転もそろそろ始めないと…自動車は週一くらいでエンジンをかけないと傷むので、時々5~10分程度エンジンかけて暖機していました。ところが11月の20日でしたか、今日こそは運転するぞと気合い入れてエンジンかけようとすると無反応。
あれ!?
バッテリーが上がってしまったのです。そこのとこはこの記事に書きました。

術後2ヶ月での運転は、バックの時に体をひねるので胸に痛みが来ましたが、だいぶ軽くはなりました。痛みが完全になくなるのにはあと1ヶ月ぐらいかかりそうな感じです。

11月24日は午後に2回目の産業医の面談がありました。
職場に復帰してちょうど1ヶ月ですが、回復も順調なので、宿泊出張はまだ認められないが、日中に帰れる範囲の出張はOKとなりました。
つまり近場しかダメってことで、遠距離出張は来年春以降です。
40代から50代半ばまでは西に東に南に北に飛び回っていたのですが、そういうことももうなさそうです。
面談はこれで終了となり、後は自己判断です。

この先生、無理もさせませんが、必要以上に大事にもしないって感じです。見てわかるのかなあ?
経験豊富なのでしょうね。会社寄りでも、また社員寄りでもなく、ちょうど中間に立っている感じがします。