豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢・幻の湖 5・野反湖

2006年08月05日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 “軽井沢 幻の湖物語” (その5)

 野反湖

 「軽井沢の湖」とはいえないが、番外編で、1966年にドライブに行った野反湖の写真をアップする。

 東京電力(中部電力ではなかったように記憶しているのだが…)の作った、これも人造の貯水湖だった。
 野反湖も、現在でもあるのかどうかは不明だが、「思い出の」という意味で、一応「幻の」ままにしておこう。

 照月湖や野尻湖にも行ったのだが、残念ながら写真は残っていない。 

 2006/8/5 
 
 追記(2021年1月28日) 
 これまでこの欄は「田沢湖」という題名で、登場する湖も「田沢湖」と書いてあったが、すべて「野反湖」の誤りだった。「野反湖」は軽井沢から草津温泉を過ぎて、さらに同じくらい北に行ったところにある湖である。
 なにゆえ「野反湖」を(あんなに有名な)「田沢湖」と誤って記憶していたのか、まったく分からない。「野尻湖」ほど有名でなかったので、記憶に定着しそこなったのだろうか。しかし、若い頃に出かけたのは間違いなく「野反湖」であり、写真も「野反湖」の堤防である。さらに、本文の中部電力ではなく東京電力の施設だったという記憶もまさに「野反湖」のものである。
 ただし、「野反湖」は人造湖ではなく自然の、それもかなり大きな湖で、しかも現存しているらしい。

 追記2(2021年3月20日)
 今日の夜のテレビ番組で、タクシーで嬬恋から新潟へ向かう番組をやっていた。その途中で、群馬県の嬬恋から長野県に入るあたりで、田代湖という湖の近くを通過していた。軽井沢からの方向と距離は野反湖と同じくらいで、やはりダムのための貯水湖のようだった。
 ぼくが最初に「田沢湖」と間違った湖は「野反湖」ではなく、「田代湖」ではなかったかという疑問が湧いてきた。

軽井沢・幻の湖 4・スケートセンター屋外リンク

2006年08月05日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 “軽井沢 幻の湖物語”(その4)

 スケートセンター屋外リンク(1966年冬) 
 
 “軽井沢、幻の湖”2のボート池は冬になると、400メートルの屋外リンクになった。ここでは後に(昭和38年)世界スピード選手権大会も開かれた。優勝したソ連の選手の彫像が国旗掲揚台の跡地(ボート池の南西の辺り)に立っており、その容貌が祖父に似ているとよく祖父をからかったりした。
 今も残っているのだろうか。

 スケート人気とともに、今の千ヶ滝温泉の辺りに屋根つきのパイピングリンクも作られたが(小林本の187頁によると1周333m×幅10mだったらしい)、これも今はない。現在のパターゴルフ場の辺りにあったインドアのアイスホッケーリンクもなくなってしまった。

 大学ではアイスホッケー部に入った。
 軽井沢スケートセンターで夏合宿をしたときに、氷上員のアルバイトをしていた軽井沢高校アイスホッケー部のOBが試合を申し込んできたので、軽井沢高校と練習試合をしたことがある。
 弱小チームと甘く見たらしく、軽井沢高校の連中は防具もつけずに、全員がジャージ姿で試合にやって来た。10対7で防具をつけたわれわれが負けた。
 
 合宿の初日には国土計画だったか西武鉄道だったかの岩本主将が試合を申し込んできた。とても適わないどころか、怪我をしては大変だと丁重に辞退したのだが、後になってから、一生の思い出に対戦しておけばよかったとみんなで後悔した。

  2006/8/5