豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

2泊3日の軽井沢案内(2日目)

2006年08月21日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月14日も朝から晴れました。
 
 お盆の軽井沢は(観光地はどこも同じでしょうが)先手必勝です。8時前には朝食を済ませて、鬼押し出しへ向かいました。鬼押し出しは軽井沢を訪れた人なら誰でも1回は訪れるところです。2度行きたいとは誰も思わない場所ですが、私は、初めての訪問者を連れて何十回行ったか数え切れません。

 国道146号はまだまだすいていました。途中、グリーンホテル跡地で車を止めて、このコラムにupするための写真を撮ろうと思っていたのですが、草が生い茂り、かつて見晴台があった場所にはトウモロコシ売りのトラックなどが止めてあって、目を背けたい風景だったので通過しました。
 有料道路の途中から左手に眺める浅間山は、浅間山が最もきれいに見える場所のひとつだと思いますが、あいにく中腹から上は雲がかかっていて、ふもとしか見ることができませんでした。それでもどこかで車を止めて写真を撮ろうと思っていると、いつの間にか信号が設置されて、右折したところにパーキングエリアが出来ていました。

 トイレ休憩と思って、女性陣だけ降ろして車内で待っていたのですが、いつまでたっても戻ってこないので見に行くと、店内で買い物の最中でした。ちょうど地元の生産者が取れ立ての野菜を持ち込んだので、見つくろっていたと言います。
 お百姓さんが「本当に生でも食べられるよ」と言っていたというトウモロコシは、帰宅後にゆでて食べてみると、甘みがあって「これなら本当に生でも食べられるかも知れないな」と思いました。こんなことで時間をつぶしたおかげで、いつの間にか雲が切れて、浅間山の山頂を拝むことが出来ました。

 鬼押し出しは、いちおう山頂の神社(かつ上野寛永寺別院となっていました)まで往復し、今度は白糸の滝に向かいました。かつて草軽鉄道の線路が敷かれていた道路です。白糸の滝には10時すぎに到着したのですが、すでに駐車スペースもなかったので、残念ながら通過して、三笠方面に下りました。

 旧軽のロータリーも通過して、軽井沢駅で国道18号に入り、ショッピング・プラザに向かうことにしました。
 新軽井沢の交差点はすでにかなりの混雑になっていましたが、それでも軽井沢駅方面からの左折は信号1、2回待ちで通過できました。中軽方面から右折しようとする車は、1回の信号で1、2台しか右折できず、かなり渋滞していました。
 しなの鉄道をくぐるトンネルを抜けると、ほとんどの車がショッピング・プラザのイースト方向に左折しようとするのですが、すでにイーストの駐車場入り口あたりで入車制限が始まっているらしく、トンネルを登ったT字路が大渋滞になっていました。私は女房と義姉だけ降ろして家に帰るつもりだったので、すいているウエスト方向に向かい、ウエストの駐車場入り口で2人を下ろし、南軽井沢交差点を右折して家に戻りました。この辺まで来ると、道はガラガラと言っていいくらいでした。

 家に戻って、東京ではめったに聞かないクラシックのCDなどを聴きながら本を読んで過ごしました。
 夕方4時近くになって女房から電話がかかり、しなの鉄道の信濃追分駅に迎えに来て欲しいというので出かけました。国道18号は下りは渋滞が始まっていましたが、追分の裏道と浅間サンラインを通れば何とかなると思い、2人を拾ってから御代田のメルシャン美術館に行くことにしました。

 予想通り、サンラインはすいていて20分ほどで到着しました。
 美術館は5時まででしたが、芝生と白樺の林を歩き、土産店をながめました。私は、毎年ゼミの卒業生が卒業式の後で記念品をプレゼントしてくれるので、いつも気持ちだけのお返しをしているのですが、メルシャン美術館の土産店で、モネの日傘の女のコースターをみつけて卒業予定者の数である20個買いました。ちょうど今年は講義レジュメの表紙を、このモネの絵にしていたのです。いい記念品になるだろうなと自賛しています。

 帰りに今度は小諸のツルヤに寄って帰りました。夕食は軽井沢駅で女房が買ってきた釜飯で済ませました。夕食後、軽井沢周辺全域のマップで今日一日の行程を確認した義姉は、「ずいぶんあちこち行けたね」と満足していました。当初はガイドブックを見て、浅間牧場にも行きたいといっていたのですが、これは次回にお預けとなりました。
 こうして軽井沢第2日が終わりました。

 * 写真はモネの日傘の女(モネの妻と息子だそうです)

  2006年 8月21日

2泊3日の軽井沢案内(1日目)

2006年08月21日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 軽井沢をはじめて訪れ、2、3日だけ滞在する人にはどこをどういう順番で案内したらいいでしょうか。
 今回も入念に計画を立てたのですが、なにぶんお盆休みの最中に軽井沢の街中や観光地を歩き回った経験がなく、混雑、渋滞についての知識も少ないので悩みました。午後になると鬼押し出し方面からの下りで国道146号線が混むこと、旧軽やショッピング・プラザは午前中からとんでもない混雑になるだろうことくらいは予想できますが。

 8月13日(日)午後1時すぎに義姉は軽井沢駅に到着しました。
 軽井沢駅周辺や国道18号の混雑を予想して、義姉にはしなの鉄道に乗り継いで中軽井沢駅まで来てもらいました。普段なら家から15分もあれば中軽駅には行けるのですが、国道の混雑が予想されるので、私たちは1時間前に千ヶ滝の家を出発して、中軽駅でスタンバイすることにしました。
 しかし、意外にも国道18号も146号もすいており、列車が到着する30分以上前に駅に着いてしまいました。幸運なことに、駅に最も近い、あの浅間山の壁画の真ん前の白樺の木立の脇のスペースに1台分だけスペースが空いていたので、そこに駐車することができました。その後、次第に送迎の車が増えてきましたが、みんな駐車スペースがなくて右往左往していました。
 しなの鉄道で到着した義姉の荷物をクルマに置いてから、まずは“かぎもと屋”で天ざる蕎麦を食べました。できれば“追分そば茶屋”に行きたかったのですが、この日はお盆休みということでした。“かぎもと屋”も一度は行って、あの吉川英治や石原裕次郎、細川首相だののサイン入り写真を眺めておくのもいいかと思いました。壁に掛けられたこの店を訪れた著名人の写真、色紙や、蕎麦の値段の変遷表は、昭和の中軽井沢駅前を思い起こさせてくれます。

 それから、中軽の駅前に置いてあった車に戻って、“ツルヤ”に向かいました。ツルヤは、11日午前中の土砂降りのときとは違って、駐車場は混んではいたものの、店舗の出入り口からそう遠くない場所を確保できました。到着早々でしたが、ここでブルーベリーのシロップ漬けや、花豆などお土産物をまとめて買ってしまいました。それと梱包用の段ボール箱もゲットして、家に戻りました。
 せっかくなので、上ノ原を右折して田崎美術館などのある通りを回って帰りました。あの通りには、“ロイヤル・プリンス通り”などという名前がついているようです。胡散臭い名前ですが、確かに、私が高校生の頃、千ヶ滝プリンスホテルの向かいの酒屋さんの前をバイクで通りかかったとき、やけに警官がたくさん出ているなと思って、ふと見ると目の前をまだ小さかった礼宮が歩いていたことがあります。

 家について、テラスでコーヒーを飲みながら一休みして、落ち着いたところで、“セゾン美術館”に行きました。この夏の展示は「聖と俗」と銘うっていましたが、私たちも義姉も興味が湧かないテーマなので、あの広々とした庭を散策することにしました。隣地との境界にずらりと並べられたペットボトルが興ざめですが、せせらぎの音を聞きながら夕暮れの一歩手前の時間のあの庭を歩くと、そこには軽井沢の香りと涼気が漂っていました。

 日が落ちてから、旧軽に行くことにしました。なるべく混雑を避けるために、三井の森の中を通り、町役場で一度国道18号に出て、鰻弁慶のところで国道をそれて六本辻のほうに回りました。鶴溜経由で旧軽に出られるらしいのですが、道が分かりません。子どものころ、あのあたりは熊が出るから行ってはいけないと言われていたので、地理勘がないのです。
 旧軽のロータリーあたりも混んでいましたが、さすがにこの時間になると、町営駐車場も1階に空きスペースがいくつもありました。物産館をのぞいてから、“サン・モトヤマ”に入って、義姉は、それほど高くはないTシャツなどを何枚か買い物していました。
 
 帰り道に、千ヶ滝温泉に立ち寄りました。塩壺、星野のいずれにするか迷ったのですが、義姉の地元近くには有名な温泉地もあり、温泉は別に珍しくもないというので、一番クルマが止めやすいスケートセンターにしたのです。
 女房と義姉が温泉に浸かっている間に私はスケートを滑ろうと思い、東京から持参したホッケー靴をもってインドア・リンクに行ってみたのですが、何とスケートセンターの営業は4時半だか5時半だかに終わってしまっていました。ちょっと早すぎないですか。リンクをのぞいて見ると、信州大学のアイスホッケー部が練習中でした。

 2日目の8月14日、3日目の8月15日のことは、書き改めます。こうして1日目は終わりました。

 * 写真は中軽井沢駅を出発するしなの鉄道

(2006年8月21日)