“軽井沢 幻の湖”物語(その1)
レイク・ニュータウン レマン湖(!)
先日買って帰った小林收さんの「避暑地・軽井沢」に触発されて、古いアルバムを懐かしく眺めた。
その中から、今では幻となってしまった軽井沢の湖の思い出を何回か書いてみたい。なお、添付した写真は、私以外の登場人物は肖像権の許諾を得ていないので、ぼかしてある。
1 南軽井沢湖(1958年)
現在の軽井沢ショッピングプラザから碓氷軽井沢ICに向かう道路(晴山通り。ぼくはあの道を“プリンス通り”とは呼びたくない)の東側にあった。
ある年突然堰が切れて消滅してしまったという話を聞いていたが、小林さんの本から、それが昭和34年(1959年)8月14日に軽井沢を襲った台風7号による堤防決壊によって消滅したことを知った。
この写真はその前年に撮ったものと思われる。同書には「一つのスケート場が消えることになった」と書いてあるので(188頁)、同湖は、冬の間は自然のスケートリンクになっていたようだ。当時は信越線の車窓からも、田んぼを凍らせただけのスケートリンクがいくつも見えた。
2 スケートセンターのボート池(1963年)
ぼくが軽井沢に行くようになったのは昭和32年のことである。
当時よく午後の散歩に出かけたスケートセンターはそれよりずっと以前からあったものと思っていたが、なんと直前の昭和31年にできたばかりだったことを、これも小林さんの本から知った(186頁)。
安っぽいスピーカーからハワイアンが流れるこの池で、従弟たちとボートに乗って浅間山を眺めたものだった。前に書いた“真夏の夜の夢”という渡辺プロのショーもこの池のボート乗り場に作られたステージで行なわれていた。最初の頃はザ・ピーナッツやクレイジー・キャッツ、後にはタイガース(阪神ではないほうの)、ハイファイセットなども来た。
これも、いつしか埋め立てられてテニスコートになり、今ではそれもなくなってしまったようだ。
3 レマン湖(1963年)
と書くのも恥ずかしいが、レイクニュータウンに作られた人造湖はそう名づけられていた。
小林さんの本によれば昭和37年に作られたというから(199頁)、できた翌年の写真である。
この人造湖の脇の三笠会館(東京会館かも…)で、いやに気取ったカレーライスを食べた思い出がある。ボーイが銀蓋つきのお盆に盛った米を、テーブルで客の指示するだけ皿に盛るのである。
近年あちこちにできたテーマパーク風のぞっとしない雰囲気のうえに、最初の頃は無料だったように記憶しているが、やがてゲートができて入場料をとるようになったので、以後数十年間まったく足を踏み入れたことはない。
したがって“レマン湖”が今でもあるのかどうか定かでない。もし現存しているのだとしたら、「昔日の」レマン湖ということにしておこう。
4 塩沢湖(1974年)
こちらは少なくとも数年前に軽井沢高原文庫に行ったときには存在していたので、「幻の」ではなく、「昔日の」である。
1965年の夏に撮った写真があって、植えたばかりの植栽以外何もない当時の塩沢湖の雰囲気がよく出ているのだが、かなりピンボケのため、ここでは後に職場のテニス合宿に行ったときの塩沢周辺のテニスコートの写真を載せておく。
近所にグレン・ミラーやベニー・グッドマンが好きな親父さんの経営する喫茶店があり、映画“スティング”に挿入されていたので聴き知っていた「イン・ザ・ムード」の曲名を言い当てると、それまで不機嫌だった親父さんが急にご機嫌になった。
* 写真は1枚ずつしかアップできないようなので、3 レマン湖(1963年)だけ。
2006/8/2