8月15日(火)、もう最終日です。
明け方までは結構激しく屋根をたたく雨音が聞こえていたのですが、6時すぎには雨もあがり、朝食前に義姉は近所の別荘見物をしながら、落葉松林の中を散策に出かけました。
最近建った別荘のなかには、“シャーロック・ホームズ”に出てくるイギリス郊外の豪邸とまでは言いませんが、“ダルグリッシュ警部”シリーズに出てくるくらいの広大な敷地に建つ豪邸もあります。建物の主はいったいどんな生業の人なのだろうかと不思議です。
きょう午後には出発しなければならないので、遠出はできません。地域としては南軽井沢方面へ出かけることにしました。
正田邸、田中角栄邸跡などのあるあたりを車窓から眺めながら、塩沢湖へ行きました。9時前にすでに開門していた“絵本の森美術館”というところの駐車場に車を止めて、9時に“タリアセン”に入りました。高校生の頃、この湖の畔(というより中の島のようなところ)で従弟たちとテントで一泊したことがあるのですが、今ではそれがどの辺だったのか分かりません。
まずは、“ペイネ美術館”。「今さらペイネでも・・」という気持ちもなくはなかったのですが、入ってみれば、何か久しぶりに懐かしいものに出会ったような気持ちになりました。
お土産に、展示されているペイネの作品のなかでおそらく唯一シトロエン2CVが描かれている絵葉書を1枚だけ買って帰りました。実は私は“シトロエン2CV”グッズを収集しているのです。といっても、自分ではほとんど集めることはなく、フランス映画の翻訳の仕事をしている妹がフランスに行くたびに買ってきてくれる2CVのキーホルダーやタンタンの腕時計、絵葉書、ミニカーなどをためているだけですが。
順路に従って、次に“深沢紅子美術館”に行きます。入り口からの道には“シャガールの道”という名前がついていました。私が事故で廃車にしてしまった旧車のポロの色は、「シャガール・ブルー」でした。というわけで、「シャガール」は苦手です。
深沢さんという絵描きさんは失礼ながらまったく知らなかったのですが、作品のなかに、“岩波少年文庫”のバーネット(ガーネットかも?)「秘密の花園」の挿絵もありました。これは妹のお気に入りの本の1冊だったように思います。
ぼくも小中学校時代には“岩波少年文庫”シリーズの愛読者でした。ケストナーの「エミールと探偵たち」、リンドグレーンの「名探偵カッレ君」「カッレ君の冒険」、セレリヤー「銀のナイフ」などずいぶんたくさん読みました。
一番好きだったのは、ドラ・ド・ヨングという人の書いた「嵐の前」「嵐のあと」という第2次大戦前後のオランダを描いた本です。オランダ少女の駐留してきたアメリカ兵への淡い想いが印象に残っています。スケートのシーンも登場します(表紙の挿絵もオランダのスケートをしている子どもたちの風景です)。かつて「岩波文化人」という言葉が(揶揄的に)言われたことがありましたが、ぼくは自分は「岩波少年文庫人」だったと自負しています。
ところで、深沢美術館の建物は、屋根の立派な梁がむき出しになった総2階建ての洋風建築ですが、これは軽井沢の郵便局を移設したものということです。
そうすると、旧道にある観光会館とはどういう関係になるのでしょうか。軽井沢には、旧道のほかにも、中軽井沢駅前の国道18号線沿いや、国道146号を登ったグリーンホテルの少し手前にも郵便局がありました。でも、国道146号沿いの郵便局は小さな尖がり屋根の建物でしたし、中軽の郵便局も深沢美術館とは違っていたように記憶します。また謎が1つ増えてしまいました。
そして、最後に、軽井沢高原文庫にまわり、「遠藤周作」展を眺め、堀辰雄や野上弥生子の旧別荘(あれが「鬼女山房」なのでしょうか)を見て回りました。堀の旧宅を引き継いだのが深沢紅子だったそうです。
遠藤周作展は、せっかく軽井沢でやるのですから、「さらば、夏の光よ」や「薔薇の館」など、軽井沢物を中心にして欲しいところでした。
向かいの「一房の葡萄」という喫茶店で杏ジュースを飲んで帰宅しました。ここは有島武郎が情死した浄月庵を移築したものだそうですが、どの部屋で縊死したのか気になってしまいました。テラスをわたる風がさわやかなのに、向かいの道路のガードレールが景色をぶち壊してしまっています。
昼食は“追分そば茶屋”でと思っていたのですが、義姉が家で食べたほうが落ち着くというので、追分に今年出来たばかりの浅野屋でパンを買って帰ることにしました。
やがて出発の時間が近づきました。今度も国道18号や146号の渋滞を避けるために、信濃追分駅から乗車してもらうことにしました。追分駅前もいつもでは考えられないことですが、駐車スペースがまったくなく、義姉たちには駅前で降りてもらってから郵便局に止めさせてもらいました。軽井沢限定の80円切手を買いましたので、お許しください。
2時少し前の軽井沢行きしなの鉄道で義姉は出発しました。
こうして私たちの、お盆の真っ最中の2泊3日の軽井沢紀行が終わりました。夜8時すぎに義姉から無事に帰宅した旨の電話がありました。翌日のメールには「夢のような3日間でした」とありました。お盆のなかの忙しない旅だったのですが、多忙な日々を送る義姉にはよい息抜きになったようです。
* 写真は、ペイネ美術館の土産コーナーで見つけた絵葉書。背景にシトロエン2CVの衝突(!)が描かれている。
2006年 8月22日