豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

デビー・クロケット

2007年03月31日 | テレビ&ポップス
 
 デビー・クロケット

 生まれは西部の山奥で
 緑の山を駆けめぐり
 3つの時に熊退治
 森の王者として育つ
 デビー デビー クロケット
 西部の快男児 ♪

 子どものころにやっていたテレビ番組の主題歌である。Googleで“デビー・クロケット”“Davy Crockett”を検索すると、あるわ、あるわ、いろんなことがわかってしまう。ぼくの記憶は上に書いたテーマ・ソングの歌詞だけである。これは、Googleで調べたなかには出てこなかったと思う。金曜日の夜8時から、プロレスと一週間交代で放映されていた“ディズニー・ランド”という番組があったのだが、そのなかで放送されたものの1つだったようだ。
 そして、ジョン・ウエインの“アラモ”の主人公がデビー・クロケットだったのだ。テキサスの領有のために、メキシコと争って敗死したアメリカ側の守備隊長がデビー・クロケットで、この映画の導入部では彼の生い立ちが描かれているという。「西部の山奥」という彼の出身地はテネシー州(バーボン!)で、終焉の地はもちろんテキサス州アラモ砦。
 ぼくが“ディズニー・ランド”で見たデビー・クロケットは、典型的なアメリカ魂をもった英雄、テレビを見ている現代の子どもたちの理想のお父さん像みたいだったが、どうもアメリカ国内の、とくにハイブロウの間では、デビー・クロケットというのは、かなりカリカチュアライズされて揶揄的に引用される存在だったらしい(H.N.スミス『ヴァージンランド』、研究社、1971年、101,114,125頁など)。何かの本で、猟銃を杖のようにして右手でもって直立不動のデビー・クロケットの写真を見たような気がするが(ビリー・ザ・キッドかも)・・。
 同書302頁によると、デビー・クロケットの伝説は、「あらいぐま狩り、喧嘩、ウィスキーに関するほら話の蓄積のなかからつくり出された」という。歌詞を思い出したときに、いくら逞しい男でも、3歳で熊退治など可能だろうか? 6つの時か、7つの時の記憶違いではないかと思ったのだが、退治した「熊」が「あらいぐま」なら、そして「ほら話の蓄積」なら、3歳でもありうるかと思う。
 ちなみに、この歌、日本では小坂一也と弘田三枝子のバージョンがあるらしい。小坂一也はもともとカントリー&ウエスタンで、“ライフルマン”の主題歌なんかも歌っていたから考えられるが、弘田三枝子は意外だった。しかし、彼女ももともと“元気印”の女の子だったから(アスパラでやりぬこう!)、ありかもしれない。NHKの“みんなの歌”でもやったらしい。
 いずれにしろ、“くま狩り”は往年のアメリカ西部の若者にとって伝統的な通過儀礼だったのだろう。セオドア・ルーズベルトによって、それが“テディ・ベア”に取ってかわられるまでは。

(写真は、昭和を回想した懐メロ本のひとつ、小野耕世編『60年代のカタログ』[主婦と生活社、1975年]の表紙。ちょっと見たかぎりではデビー・クロケットは登場しないが、ジョン・ウエインのところで“アラモ”['60年]が「浪曲調の全滅物語」(確かに!)として紹介されている。)

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