豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ピンキーとキラーズ “恋の季節”

2008年12月30日 | テレビ&ポップス
 
 その、ピンキーこと今陽子に恋していた時期。

 もちろん“恋の季節”のドーナツ盤は買ったのだが、レコード屋の天井から吊り下げられていた宣伝用のxxx(こういう物体を業界用語で何というのだろうか?)がどうしても欲しかった。

 確か吉祥寺駅の北口前にあった新星堂というレコード屋だったと思うが、勇気を奮い起こして、恐る恐る「あのぶら下がっているのを貰えませんか…」と頼んでみた。
 女の店員さんだったが、いとも簡単に「いいですよ」と言って、無造作に吊り下げてある紐を引きちぎって、渡してくれた。

 シャイだった当時のぼくとしては考えられない行動である。
 ピンキーに対する恋心が、ぼくをしてこんなことをさせたのだろう。

 * 写真は、ピンキーとキラーズ“恋の季節”の宣伝用のジャケット(?)。長いことぼくの勉強部屋にぶら下げてあったので、埃にまみれているけれど…。

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レコード大賞、発表!

2008年12月30日 | テレビ&ポップス
 
 “日本レコード大賞”というのは、かつては大晦日恒例の行事だったが、レコード自体がなくなってしまった現在ではどうなっているのだろうか。

 先日、BSの“TBS チャンネル”で、1968年の“レコード大賞授賞発表演奏会”というのを放映していた。
 その年の「グループ新人賞」というのを受賞したのが、わが“ピンキーとキラーズ”の“恋の季節”だった。

 1968年、ぼくは大学受験に失敗して、四谷にある駿台予備校四谷校というところに通っていた。

 新宿通りをはさんだ反対側にある中華料理屋によく昼飯を食べに行った。そこのテレビでは、いつも前田武彦の“お昼のゴールデン・ショー”という番組を流していた。
 初夏の頃、この番組のその週の歌として、“ピンキーとキラーズ”のデビュー曲、“恋の季節”が1週間にわたって放映された。
 
 ブラウン管越しにピンキーに恋をした。
 一般の新聞にも彼女の紹介記事が掲載された。
 17歳、本名は今陽子。名古屋の出身で、お父さんも音楽関係だったように思う。いがぐり頭の弟がいた。彼女の弟がうらやましかった。
 いずみたくの内弟子(?)で、彼の家に住んでいるという話だった。

 受験勉強が追い込みの時期のはずだが、年末には、きっと“レコード大賞”も“紅白歌合戦”も見たはずである。
 
 あれから40年が経ち、こちらはずい分フケたが、彼女の方は時おりテレビなどで見かけるが、昔のままの元気な姿である。

 * 写真は、TBS Channel の1シーン。

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