ぼくは大学を出てからしばらくの間、外苑東通り沿いの信濃町と四谷三丁目のちょうど真ん中あたりにある出版社で編集者をしていた。
当時行きつけだった信濃町(正確には左門町)の喫茶店の若いマスターが、青山一丁目に自分のスナックを出したというので、開店当初は編集者仲間と一緒にせっせと通った。
“ウォーキン”という名前だった。
ここで出会ったスタイリストの女の子に恋をしたこともあった。友人のカメラマンのガールフレンド(彼女?)だったので、打ち明けることができないままに終わった。
一度彼女と新宿二丁目のバーに行ったことがあった。別れて家に帰ると、ぼくの紺色のジャケットの右袖に、寄り添っていた彼女の着ていた白い毛皮コートの細かい毛が無数についていた。
しばらく叩かないでそのままにしておいた。
“ウォーキン”は、店を入ったすぐの左手にボトルの棚があった。
開店当初にボトルをキープした先着100人のボトルナンバーは永久不滅ということになっていた。
ぼくのサントリー・オールドは“79”番だった。“泣く”である。
1975年か76年のことである。
時どき出向く青山の出版社の編集者の話では、最近は昼食のカレーが評判だという。
先日、ホンダのショールームに“インサイト”を見に行き、ちょうど昼食時だったので入ってみようかと思ったのだが、年末で編集の人たちも忙しそうだし、あいにく店内は満席に近かったので、表から写真だけ撮って帰ってきた。
本当は、ちょっと気恥ずかしい思いがして、ドアを開ける勇気がなかったのである。
「ひでちゃん」と呼ばれていたマスターが今も経営しているのだろうか…。