豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“ホンダ・ビート”

2008年12月01日 | クルマ&ミニカー
 
 ぼくがミニカーに興味をもつようになったのは、今年の10月初旬。

 その頃、“国産名車コレクション”という隔週刊のミニカーつきの雑誌があることを知った。
 バックナンバーを調べると、創刊号の“スバル360”を筆頭に、“いすゞペレット”、“マツダ・クーペ360”など、欲しいクルマが結構あった。
 しかし、ほとんどが版元品切れで手に入れることはできなかった。神田の新刊書店でも、バックナンバーは最近の数号しか在庫がない(かさばるから・・・)。

 バックナンバーの1冊(1台)に“国産名車コレクション56号”(2008.3.12号)の“ホンダ・ビート”があったが、これも版元品切れ。
 ところが、2週間ほど前に、他のミニカーを探していたら偶然“国産名車コレクション”のバックナンバーを扱っている通販の書店に出くわした。調べると、以前は版元品切れになっていたはずのこの号が、僅少ながら在庫があると書いてある! 
 あわてて申し込んだまま忘れていたところ、きょう、そいつが届いた。

 ホンダのスポーツカーの思い出は、ぼくが中学生の頃にさかのぼる。その頃、“ホンダS500”というスポーツカーが発売された。発売記念の懸賞で1台当たるというので、親の名前で応募した記憶がある。もちろん外れた。
 ひょっとすると、これが、ぼくが人生で一番最初に欲しいと思ったクルマかもしれない。

 わが家の状況では、2シーターのオープンカーなどがマイカーに選ばれる可能性はゼロである。とくに、今回の“ホンダ・ビート”の台座を見ると、(1991年)となっている。
 上の息子が11歳、下が2歳の頃である。こんな家族構成で“ホンダ・ビート”が選ばれることは考えられない。しかし、自分用にあんな小さいクルマがほしいなと思うこともある。
 それから17年が経ち、上の子は独立し、下の子も親と一緒のドライブなどにはついて来ない年齢になった。ようやく2シーターのオープンカーでも人員的には不都合ではない家族構成になってきたが、もうオープンカーでは億劫な年齢になってしまった。

 うちの近所のホンダの販売店(元はバイク屋さんか)の店頭に、いつも真っ赤な“ホンダ・ビート”が置いてある。売り物ではないのか、数年間置かれたままである。
 いつも買い物のついでに眺めていたのだが、ミニカーという選択(?)を知って、きょうからは机の前で懐かしむことになった。

 * 写真は、“国産名車コレクション”56号(2008.03.12号)についているNOREV製の“Honda Beat(1991)”。

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