「呪われた東京オリンピック」は、わが麻生副総理の名言だが、その呪われた東京オリンピックの開会式が行われているようである。
しかし、そもそもコロナ感染者の増加に1年半以上対応しつづけている医療従事者が疲弊している中での東京オリンピック強行に反対する者として、せめてもの矜持としてテレビでのオリンピック視聴を拒否して、ホッブズを読んでいる。
菅首相は「オリンピックを中止することは簡単だ」と語ったそうだが、それならぜひ今からでも有言実行してほしい。どの世論調査でも回答者の半数以上が開催に反対しているのだから。
7月22日のCNNニュースで、東京特派員に対して(アメリカ国内の)スタジオのキャスターが、開口一番に「東京オリンピック中止の条件は何か?」と質問していた。それに対して特派員は「そのようなことは何も示されていない、政治判断になるだろう」と答えていた。
昨夜(7月23日)の11時半に勉強を切り上げて、リビングに行ってみるとまだ開会式をやっていた。4分間短くなるはずなのに、どうして予定より延びているのか。劇団ひとりが出ていて「開会式」ごっこ風の芝居をやっていた。
これからどのくらいオリンピック中継を見ないでいられるか。本当は今夜も、設計の最初から観客がいなくても賑やかに見えるように観客席の色を変えたと隈研吾氏が語っていた観客席がどんなものか、見てみたい気はあったのだが。無観客を想定していたという彼の先見性には驚く。国立競技場に聖火台を設けなかったことも防火上の理由だけでなく、ひょっとすると聖火が到着しないことを予見していたのだろうか。
ぼくのプライドが試される2週間が始まった。なんとかぼくのホッブズ熱、16~7世紀イギリス熱が冷めないでくれれば持ちこたえることができるのだが。
もっとも現在のぼくが好きなスポーツは、大相撲の照ノ富士とエンジェルスの大谷翔平だけで、オリンピック競技のほとんどの種目に興味がないから、見ないことが強いストレスになるわけではない。あえて言えば400mリレーと3000m障害くらいだが、今度の東京オリンピックには、1964年のアン・クリスチネ・ハグベリ選手のような胸ときめく選手もいない。
※ 冒頭の写真は1964年の東京オリンピックの開会式(朝日ソノラマ1964年12月号の表紙)。1964年の東京オリンピックだけはまったく「呪われた」オリンピックではなかった。今回の開会式だって、古関裕而の行進曲と団伊玖磨のファンファーレ、1964年とまったく同じプログラムで簡素にやっておけばよかったのにと思う。
1964年10月10日の、東京の、秋晴れの青空の感動は二度と訪れないだろうけれど。
今回のブルーインパルスによる五輪の輪の失敗も(パイロットやスッタフの技量も関係しているのかもしれないが)、主因は8月の暑さと湿度と雲のせいだろう。と言うことは、「8月は東京のベストシーズン!」などと言ってのけた招致委員会の責任だろう。
2021年7月23日 記