小泉徹『クロムウェル――「神の摂理」を生きる』(山川出版社、2015年)を読んだ。<世界史リブレット・人>シリーズの1冊で、オリバー・クロムウェルの生涯(1599~1658年)を素描する。
高校時代に世界史を勉強した時以降、クロムウェルは、フランス革命におけるロベスピエールとともに、恐怖政治を行った独裁者というイメージが強い。しかし何故か、ロベスピエール、クロムウェルともに忘れがたく、強い印象をぼくに残した。
最近になって、ホッブズを読み、ホッブズが(「内乱」ないし「内戦」と呼ぶ)ピューリタン革命への反省から、主権者権力(sovereign power)の絶対性を唱えるに至った背景としての「ピューリタン革命」の実際をもう一度勉強しようという気になった。
そして、手はじめに読んだのが、この『クロムウェル』である。
著者のクロムウェル観の基本は、現実の動きの中に「神の摂理」を見い出すピューリタン(プロテスタント改革派)としてのクロムウェルである。
クロムウェルは没落しつつあるジェントリの次男として生まれた。ケンブリッジ大学を卒業するまでの学校教育の中で、ローマ教皇を反キリストの総帥と考えるピューリタンとなり、この信仰は生涯変わることはなかった。由緒ある家柄の出である妻との結婚によって人脈を築き、下院議員となり、長期議会(1620~40年)において次第に実力をたくわえることになる(~18頁)。
しかし彼が頭角を現したのは、1642年からの国王派と議会派の内戦(ピューリタン革命)における軍事指導者としてであった。軍隊経験もないクロムウェルだったが、民兵部隊を組織し、給与の支払いを保障し、出身階級を問わずに士官を登用し、プロテスタントであれば宗派を問わずに待遇したという。
最終的に1645年のネイビスの戦い(ネイビスという地名は高校世界史の教科書にも載っていた。下の写真)でクロムウェル率いる騎兵隊が国王軍を破ったにもかかわらず、国王は敗北を認めず、結局は1646年のコーンウォール(あのG7開催地?)の戦いで、ついに国王チャールズ1世はスコットランドに敗走し、内乱は終結する。
これらの戦いにおいて、クロムウェルは「神の摂理」によって勝利に導かれていることを確信する(~32頁)。
その後は、議会内において、国王との和平を主張する長老派と、戦争(内戦)推進派だった独立派(=議会派)、さらには末端兵士らを支持者とする平等派との抗争が続く(のだが省略)。
エピソード的な話題としては、社会契約説に基いて全人民の同意による統治を提案した1647年の「人民協定」にクロムウェルが反対したこと(38~9頁)が印象的である。
そのクロムウェルらの行動に危機感、反感を抱いたホッブズが、人民主権、全臣民の同意による政治体の正統性を唱えるのである。クロムウェルにとって世界を統べるのは神のみであるが、無神論の(少なくとも信仰の自由を掲げる)ホッブズにとってそれは全臣民(の意思)だったのである。
1649年1月の国王処刑までにも様々な動きがあったが、内戦におけるおびただしい流血の原因は国王にあるとする軍の主張を、最終的にクロムウェルは受け入れた。「神の摂理」がそれ(国王処刑)をわれわれに命じているとクロムウェルはいう(50頁)。
※ 高校世界史の教科書にはチャールズ1世の処刑の挿絵が入っていた!(上の写真) クロムウェルの顔写真はない(柴田三千雄ほか『新世界史』山川出版社、193頁)。本書の扉にも宮殿前の処刑場で国王の生首を刑吏が掲げる当時の挿絵が載っている。
国王処刑後の議会派、クロムウェルはカトリックのアイルランド、スコットランドを制圧し、さらにオランダとの戦争を指導する。アイルランドでの「虐殺」も、彼には「神の摂理」に導かれての行為であった。その反カトリック感情は強烈な印象を与える。
国王なき共和政期の「統治章典」(1654年)によって彼は「護国卿」という地位に就く。「国王」への就任打診を彼は断っているが、実質的にはイングランド、スコットランド、アイルランドを統合した国家の国王の地位である。ところで、チャールズ1世の「正統性」は何に由来するのだろうか?
護国卿となったクロムウェルの政治は「独裁」といわれるが、彼は当初は「古来の国制」すなわち議会を尊重する姿勢だった。しかし、議会の反動的態度、混乱、無能ぶりから、彼は「古来の国制」の実現を断念せざるを得なかったのである(82~5頁)。
長くなったので、王政復古に至る過程も省略。
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『ビヒモス』への解説の中でテンニェスが語ったように、ホッブズが(主権者権力の絶対性とともに)個人の自由、人間の平等、選挙によって選ばれた人民の同意による立法権などを唱えたのだとすれば、ホッブズにそのような思想を抱かせる契機となったピューリタン革命そしてクロムウェルは、その後の西欧のリベラル思想の契機、遠因といってもよいだろう。
本書の序章で、著者はクロムウェル評価の歴史的変遷を記述しているが、その中でクリストファー・ヒルがクロムウェルを「市民革命を実現した偉大な指導者と認めた」と紹介している(3頁)。
本書を読んだのちには、「市民革命を実現した偉大な指導者」の1人であることは間違いないという印象を抱いた。しかも、腎臓結石やマラリアを抱えて奮闘しながらも、1歳の孫(オリバーと命名されていた)と、その母である娘を相次いで失うと、同じ年に自らも失意のうちに59歳で亡くなるという人間的な最期も印象的である(96~7頁)。
辞世の言葉は「主よ、私に何をなさろうとも、主の民に良き業をお続けください」だったという。
2012年7月27日 記