さて、昨日7月22日にホッブズ『リヴァイアサン(2)』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018年)を読み終えたのだが、きょうの昼間は、第2部をもう一度ざっと読み直し、そして『リヴァイアサン(1)』(水田洋訳、岩波文庫)に収められた同書第1部を読み始めようと思っていたのだが、午前中にAmazonから注文していた荷物が届いた。
Hobbes “Behemoth”(Simpkin, Marshall, and Co.)、小泉徹『クロムウェル』(山川出版社)、そしてDVD「わが命つきるとも」(ソニー・ピクチャーズ)の3点である。
「クロムウェル」と「わが命つきるとも」が欲しかったのだが、両者を合わせて1800円にしかならない。Amazonは2000円未満だと送料がかかる。何とか200円くらいのAmazon発送の商品はないかと探していたら、Hobbesの“Behemoth”のペーパーバック版の新品が何と215円で出ていた。残り1冊だったので飛びついてクリックした。これで送料は無料になった。そして今日現物3点が届いたのである。
『ビヒモス』の英語版など読む気はなかったのだが、いつか邦訳『ビヒモス』(山田園子訳、岩波文庫)を読むときに横に置いておいてもいいなと思った程度である。
ところが、届いたこの“Behemoth”が不思議な本だった。
まずサイズが変わっている。ペーパーバックだから新書版くらいのサイズかと思っていたら、タテ26cmxヨコ20・5cmと、絵本のような大きさである。厚さは1cmもない。もらい物の計器で測ってみると0・6cmだった。
これで本当に岩波文庫版で331頁もある“Behemoth”の全部が収まっているのだろうかと心配になる厚さである。しかも本文各ページに頁数が入っていないので、全部で何ページなのかも分からない。数えてみると本文が110頁あった(+扉、目次各1頁)。
出版社はSimpkin, Marshall, and Co.とあるが、出版年はない。こんな本は初めて見た!
しかも編者は、Ferdinand Toennies, Ph.D. とある。Toenniesって、あの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』のテンニースなの? そうだとしたら、テンニースって「フェルディナンド」って名前だったのだ!
※ これまで、ぼくはToennies を「テンニェス」と表記してきたが、何を典拠にそう覚えたのか記憶がない。岩波文庫の『ゲマインシャフトと・・・』は「テンニエス」となっている。今後は、新明正道『社会学の発端』(有恒社、1947年)に従って「テンニース」と表記することにした。
テンニースといえば、わが中川善之助先生が家族法の基礎理論を構築する際に参照した学者の一人として、家族法を勉強した人にとってはなじみ深い名前である。中川先生が身分法(家族法)の特質として指摘した「本質社会結合性」や「統体性」などが、テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の影響をうけたことは明らかであろう。
--と書いたが、自信がないので改めて中川善之助『身分法の基礎理論』(河出書房、昭和14年、1939年)を確認すると、先生はテンニース(テニースと表記)をあまり評価していない書きっぷりである(14、18~9頁)。同所で中川先生は、テンニースより高田保馬の理論のほうが精緻であると述べている。「影響をうけた」とまでは言えないかもしれないが、身分(家族)関係の「本質社会結合性」論の形成にテンニース「ゲマインシャフト」論が影響を与えなかったわけではないように思う。。
いずれにせよ、専修大学の中川善之助文庫に収められた中川の旧蔵書を見ると、彼が1920~30年代に当時の社会学関係の書物を丁寧に読んでいたことがうかがえる。
さて、話はホッブズ『ビヒモス』に戻る。
『ビヒモス』は晩年のホッブズが自分が生きた時代、とくにいわゆるピューリタン革命の前史から王政復古にいたる時代(~1690年頃まで)を回顧した本である。
『リヴァイアサン』の背景を知るために、川北稔『イギリス史』などを読んだけれども、この時期がイギリスの宗教革命の時代だったことは分かるが、「長老派」「平等派」「独立派」、それらと国教会との関係はよく理解できなかった。いっそ、ホッブズ自身がピューリタン革命(彼は「内戦」(山田訳。ホッブズは“troubles”と呼んでいる)やクロムウェルをどう見ていたかを彼自身の言葉で知りたいと思うようになった。
Amazonで調べると、わが国で唯一の邦訳である岩波文庫『ビヒモス』は現在品切れになっていて、定価の2、3倍の値段がつけられている。それではと、「日本の古本屋」で調べると、いくつかの古書店で1000円で売られていたが送料が明示してない。日本郵便で250円かせいぜい300円程度の送料なのに400円とか500円の送料を取っているところもあるから、不用意に注文はできない。
その時、ふと閃いた。
岩波文庫の『ビヒモス』は、たしか駅前の書店の文庫コーナーに置いてあった(残っていた)のではないか? その背表紙の映像までわが頭のなかに蘇ってきた。さっそく暑い中を駅まで出かけた。ジュンク堂にはなかったが、くまざわ書店に行くと、まさにわがデジャブとおり、『ビヒモス』がぼくを待っていた。
ということで、ぼくは『ビヒモス』の新品を定価で入手することができたのである。
Amazonで届いたテンニース(Toennies)編の “Behemoth”のほうは、いぶかしく思って、山田訳『ビヒモス』の解説を読むと、この本の編者は、やはりあの「テンニース」だった(なお、山田解説は「テニエス」と表記する。いろいろな表記がされるが本当はどれが一番近いのだろうか)。
彼は、ホッブズとマルクスから大きな影響をうけた社会学者で、オックスフォード大学に赴き、同大学所蔵の“Behemoth”の手稿を翻刻し、1889年に自費出版したのだそうだ。 後にこのテンニース版を出版したのが、これも山田解説の書誌情報によれば「シンプキン社」とあるから(401頁)、ぼくが215円でゲットしたSimpkin,・・・Co.の“Behemoth”はまさにテンニース版そのものなのだろう。
各ページに頁数が入っていないのも、もともとホッブズの手稿だったからなのだろう。不便だが仕方ない。自分で各ページ下に手書きでもするしかない。
テンニースは、自分が翻刻した“Behemoth”のドイツ語翻訳版が後に出版された際の序文で、ホッブズの民主主義的原理を強調したという(山田解説402頁)。
ぼくが手に入れたSimpkin版“Behemoth”の最終頁には筆者名の記載がない20行足らずの解説がついているのだが、そこには「ホッブズは、理性的な根拠に基づいて主権者権力の絶対性を擁護したが、同時に、個人の権利、すべての人間の本質的な平等、政治秩序の人工的性質(それは後に市民社会と国家を区別する理論の契機となった)、すべての立法権力は人民の同意に基礎を置く「代表者」によらなければなければならない、人民は法律によって禁止されていないすべての行為を自由に行なうことができるというリベラルな法解釈など、ヨーロッパのリベラル思想の基礎を築いた・・・」と書いてある。
ひょっとすると、この後書き的な解説もテンニースによるものなのだろうか。
山田解説に触発されて、『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(岩波文庫)の杉之原寿一解説を読んだり(確かにそこでもホッブズへの言及があった)、山田解説を読んだり、届いた“Behemoth”をぱらぱら眺めたりしているうちに、11時半を過ぎた。
呪われた東京オリンピックの開会式は終わっただろうと見計らってリビングに行ってみると、まだやっていた。
2021年7月23~25日 記