豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

弓削達『ローマはなぜ滅んだか』

2021年07月09日 | 本と雑誌
 
 弓削達『ローマはなぜ滅んだか』(講談社現代新書、1989年)を読んだ。

 ホッブズを読んでいると、ギリシャ、ローマの歴史や人物(歴史家、皇帝など)がしきりに出てくる。ヨーロッパ人なら誰でも知っている故事なのだろうが、そういう知識がないために、何のためにその故事が援用されているのかを理解できないことになる(訳注はあるのだが)。

 かと言って高校の世界史の教科書を読むのも癪なので、ランケ『世界史概観ーー近世史の諸時代』(岩波文庫、鈴木成高他訳)のギリシャ、ローマ時代を読んだ。
 ぼくの大学時代のゼミの先生から、旧制三高時代に訳者の鈴木成高さんからドイツ語をならった話をうかがった。「スズキ・セイコー」というので、「誰ですか」と聞き返したら、「君はスズキ・セイコーを知らないか! あのランケのスズキ・セイコーだよ」と仰られたので、「ああ、スズキ・シゲタカですか」といったら、「そう、そう」と納得された。
 当時のぼくは、岩波文庫の末尾についている岩波文庫の目録を眺めるのが好きだったので、読んでない本でも書名と著者名を結びつけるのは得意だったが、ランケを読んだのは今回が初めてである。

 この本は、ランケが1854年にバヴァリア国王マクシミリアン2世に対して行った御進講を活字化したものである。著者はヘーゲルらの歴史哲学派を否定し、歴史学(実証主義ということか)の立場から記述したと言うが(序言)、国王に対して当時(19世紀半ば)の情勢を背景にヨーロッパの歴史を語ったものであり、冒頭から「歴史力」なるものが語られているなど、純粋な実証主義歴史学の著述ではない。
 残念ながら、ローマの歴史に関する記述はホッブズを読む前提知識を得るためには十分ではなかった。むしろ、チャールズ1世統治下のイギリス(の議会と国王の関係)を論じたあたりのほうが、ランケの論述は生き生きとしており、ホッブズ理解のためにも役立ちそうである。
 この本で最も印象的だったことは、ランケの講義を聞いた後で国王が発した質問とランケの回答が対談形式で載っているのだが、その質問が的確で国王の教養と問題意識の高さがうかがえたことである。国王など世襲の愚帝ばかり、市民革命によって処断されるのも当然と思っていたが、どうしてなかなかの君主もいたのだ。

 それでは、もう少しローマに特化した本を読もうということで、弓削達(ゆげ・とおる)『ローマはなぜ滅んだか』を読むことにした。
 ランケのローマ時代の記述に比べればもちろんかなり詳しいが、本書も古代ローマの通史的記述は初めから考えてなく、むしろ1989年の時点で「ローマの衰亡」を論ずることの意義を念頭に書かれたローマ史であった。
 
 最終的には、ローマ社会に同化しラテン文化を身につけた教養あるゲルマン人に対する排斥運動が起き、有能なゲルマン人を排除したことがローマの力をそぎ、ゴート人によって滅ぼされたというのが、「ローマはなぜ滅んだか」という問いに対する著者の結論のようである。
 ただし、ローマの全盛時代といわれる時代も、一部のローマ人の栄華に過ぎず、その「栄華」も奢侈や姦通の横行する乱れた時代として描かれている。古代ローマの皇帝が庶民を手なずけるために提供したのがサーカスと競技会だったというが、オリンピック開催で世間の目を失政からそらそうとする昨今のわが国の状況を彷彿させる。「すべての道はローマに通ず」か。

         

 古代ローマの通史を期待するなら、同じ弓削さんの『新書世界史2 地中海世界』(講談社現代新書、1973年)のほうがよかった。巻末の年表も詳細である。
 ぼくの持っている同書には、傍線を引いたり、「パトリキvsプレブス」とか「カヌレイウス法」などと書き込みがしてあり、巻末には「1990年4月16日読了」とメモしてあるが、内容は全く忘れてしまった。    
 ちなみにアスリート(athlete)の語源は、古代ギリシャ語で「賞を争う人」の意味だと辞書に書いてあった。

 2021年7月9日 記


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