サリンジャー「マヨネーズぬきのサンドイッチ」(原題は “This Sandwich has No Mayonnaise”,初出は “Esquire” 誌,1945年)。『サリンジャー選集(2) 若者たち』荒地出版社、1993年新装版、刈田元司訳で読んだ。
題名は適当で、内容をまったく示していない。「わたしの乗ったトラック」でも「戦争と平和」でも「マヨネーズぬきのサンドイッチ」でも、何でもよかったとサリンジャー(というか主人公のヴィンセント)はいうが(149頁)、本当は「戦争と平和」にしたかったのだろう。場面は始めから終わりまで、ジョージアの基地近くの雨に降られたポンコツ軍用トラックの中だから、「わたしの乗ったトラック」でもいいけど、「マヨネーズぬきのサンドイッチ」では何の意味か分からない。
トラックには34人の兵隊が乗っているが、今夜のダンス・パーティーに行くことができるのは30人だけ、4人は降りなければならない。誰を下すか、ヴィンセントは悩む。同時に、今は地元で行方不明になっている弟のホールデンのことも心配しなければならない。この二つの悩みが交互に波状的にくり返される。
トラックのズック(!)の幌に雨が降り注ぎ、吹き込む雨で肘がぬれるのだが、サリンジャーは雨の描写は下手である。湿度99%、読者の履いているズボンまでがじっとりと湿ってくるような感覚は起きない。シムノンやフリーリングは雨を描くのがうまかった。
でも、雨のトラックの中の兵士たちは、暢気である。これまでに配属されたことのあるマイアミやメンフィスやダラスやアトランタの思い出を語り、自慢する。マイアミでは(おそらく接収した)ホテルに滞在して1日2回でも3回でもシャワーを浴びることができた。やっぱり、アメリカに勝てるわけなどなかったのだ、と納得させられる。
今回も登場人物たちが饒舌に語りまくる。老人となったぼくにはうるさくてかなわない。若いころはこんな会話がよかったのだろうか。もう思い出せない。
でも、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』以外の短編は、若かった20代の頃にも読んでみたものの途中で投げ出してしまったのだから、若い頃からそれほど好きではなかったのだろう。饒舌さと煙草は苦にならなかったらしいけれど。
今では饒舌さ(や煙草)には参ってしまうけれど、サリンジャーというユダヤ系アメリカ人の戦争体験を背景に書かれた、戦勝国の戦後文学だと思って読んでいるので、理解できることも少なくない。
今回も時おり鈴木武樹訳『若者たち』(角川文庫)を参照した。
話の冒頭から、刈田訳では、主人公たちが軍用トラックの「安全ベルトに腰かけて」いるのだが(148頁)、そんな「安全ベルト」はないだろう。鈴木訳を見ると「内側のベンチの上に」腰かけている(253頁)。こっちなら分かる。
ホールデンの通う学校も、刈田訳では「ペンティ大学予備校」だが(152頁)、鈴木訳では「ペンティ進学高校」となっている(261頁)。なお、鈴木訳の「マディソン街はずれのささやかな反抗」では、同じ学校を「ペンシ男子進学高等学校」と訳している(201頁)。おそらく「プレップ・スクール」の訳だろうが、「男子進学高等学校」とまで説明する必要があったか。
「ペンティ」だったり「ペンシ」だったり、鈴木訳は複数の人間が訳したのではないか(少なくとも下訳は複数でやった)と思われる個所が散見される。訳文の分かりやすさ、サリンジャーらしさも、作品ごとに違いが感じられる。
ところで、マヨネーズはいつ頃日本に入ってきたのだろうか。サンドイッチにつけた記憶はないが、嫌いだったほうれん草にマヨネーズをつけて無理やり食べさせられた記憶があるから、昭和30年代には日本の食卓に上っていた。キューピー(人形)はアメリカの象徴だから、マヨネーズもきっとアメリカから入ってきたのだろう。
* * *
蛇足ながら、もうひとつ、「マヨネーズぬき・・・」には出てこなかったけれど、『若者たち』か『倒錯の森』のどちらかに、クリネックス(Kleenex)のティッシュが出てくる短編があった(『ライ麦畑・・・』には間違いなく出てくる)。
サリンジャーの初期の作品には、ニューヨークの裕福な家庭の生活ぶりが描かれていて(小津安二郎の映画に昭和の日本の中流から少し上の家庭生活が描かれているように)、1940~50年代のアメリカの家庭生活をうかがい知ることができる。
コールフィールド家が住んでいるニューヨーク、マンハッタンの高級アパートには、エレベーターがついていて、エレベーター・ボーイまでいる。どの家にもたいていは召使いがいて、子どもたちは名門プレップ・スクールに通う。家には自家用車もあるけれど、デートの帰りにはタクシーの後ろ座席で彼女にキスをし、友人宅で開かれるパーティーでは、高校生なのにビールやマーティーニを飲み、テラスに出て煙草を吸ったりする。
そんな小道具の一つがクリネックスのティッシュである。サリンジャーは、貧しい敵国日本の読者に対する影響など考えてもいなかっただろうけれど、当時の日本人のほとんどは(羨ましく思う以前に)、それが何なのかさえ理解できなかったのである。
クリネックスのティッシュなどというものは、「マヨネーズぬき・・・」が発表された1945年当時はもちろん、ぼくが高校生だった1960年代半ばになってもまだ日本では普及していなかった。せいぜい「チリ紙の仲間」くらいの理解だっただろう。
ぼくが小学校低学年だった昭和30年代初め頃は、(尾籠な話で恐縮だが)わが家のトイレ(便所というべきか)では、古新聞を25センチ X 20センチくらいに切ったやつが数十枚ずつ箱に入れて置いてあって、用が済むたびにそれをくしゃくしゃに揉んでから尻ふきに使っていた。赤瀬川原平の『鏡の町・皮膚の町』(筑摩書房だったか?)にもこのエピソードが出てきた。同じ目的で使用するための結節のついた荒縄がぶら下がっている便所もあったらしい。
中学か高校の英語の時間に読まされた何かに、その “tissue” が出てきた。辞書を引くと「薄葉紙」と訳語が書いてあった。何となく意味は分かるけれど、どんな物か実物は見たこともなかった。金持ちの家にはあったのかもしれないが。
今回、サリンジャーやその周辺を読んでいたら、鈴木武樹の『フラニーとズーイ』(角川文庫、1969年)の解説の中に、1952年の『ライ麦畑・・・』の時代には「クリーネックス・ティッシュ―」は「薄葉紙」と訳すしかなかったと書いてあるのを見つけた。1952年の翻訳といえば、橋本福夫の『危険な年齢』(ダヴィッド社)しかない。橋本さんもぼくと同じ英和辞典を使っていたのだろうか。
ぼくは中学時代は『新スクール英和辞典』(研究社、1962年)という百科事典のような辞書を使い、高校時代は『岩波英和辞典(新版)』(1958年)を使っていた。
『スクール英和』の “tissue” には「1(生物)組織、2 薄い織物、しゃ(紗)、3 (うそ(嘘)・ばかげたことなどの)織混ぜ、連続(=network,set,web)」という訳語が並んでいて、赤鉛筆でアンダーラインが引いてあった(ということは調べたのだ)。鼻をかんだり、涙を拭いたりするあの「ティッシュ」の意味は出てこない。“network”,“web” なんて言葉が1962年当時から日本の中学生向けの辞書に載っていたとは驚きである。しかも“network” や “web” が「嘘やばかげたことの連続」とは何という予言的なことか!
連語として “tissue paper” が出てきて、「薄葉紙、吉野紙(本のさし絵を保護したり、損じやすい物を包んだりするのに用いる)」とある。「吉野紙」とはおしゃれな訳語ではないか。 このカッコ書きなら、どんなものか想像はつく。ただし、『ライ麦畑・・・』を訳すのに「吉野紙」というわけにはいかないだろう。
『岩波英和』の “tissue” も、『スクール英和』と同じような訳語が並んでいて(一つだけ「炭素印画紙」という訳語が加わっていた)、鼻をかむあの「ティッシュ」の意味は出てこない。ここでも連語としての “tissue-paper” には「貴重品などを包む薄く柔らかい紙」という訳語があてられている。
ぼくが覚えた「薄葉紙」は、どうも『新スクール英和辞典』から来たようだ。
ちなみに、最近の『ウィズダム英和辞典(第3版)』(三省堂、2013年)の “tissue” を見ると、真っ先に「ティッシュ(ペーパー)」という訳語が出てきて、「この意味では tissue paper としない。商標をそのまま用いて a Kleenex ともいう」と注記がある。3番目に“tissue-paper” で「(割れ物、本などを包む)薄葉紙」!という訳語が載っている。
--ぼくがこのブログで何を書いているかを、外部で調べている人(?)がいるらしくて、ぼくが「ティッシュ」のことを書きこんで以来、ぼくのパソコンを開くと、頻繁に<配布用ティッシュ1個2円から>という広告が横っちょに出てくる。ぼくはティッシュ配りか何かに関連がある人間と思われているようだ。
2021年11月17日 記