豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

サリンジャー「ある少女の思い出」「ブルー・メロディー」

2021年11月13日 | 本と雑誌
 
 サリンジャー選集(2)『倒錯の森《短編集Ⅱ》』(荒地出版社、新装版、1993年)から、「ある少女の思い出」(“A Girl I Knew”,1948)と、「ブルー・メロディー」(“Blue Melody”,1948)を読んだ(ともに渥美昭夫訳)。

 1936年、若き日のサリンジャーと思しき主人公ジョンは、大学1年の全単位を落としてしまい、退学を命じられる。
 ニューヨークの実家に帰省したジョンは、父親から「お前の正式な教育は終わった。(父の)会社で働く準備としてヨーロッパに行って外国語の2、3でも習得して来い」と言い渡される。
 ジョンはウィーンに5か月滞在し、下宿先のアパートの階下に住む美しいユダヤ系の少女リアと知り合う。リアには、父親が決めた年配の婚約者がいたが、リアはジョンの部屋にやってきて、ふたりはリアの片言の英語と、ジョンの片言のドイツ語で語り合ったり、レコードを聴いたりする。
 ジョンがウィーンを離れてパリに旅立つ日、リアはポーランドに住む婚約者の家族への挨拶に行っていて、別れを告げることはできなかった。ジョンは手紙を残してウィーンを去る。

 1937年にリアからジョンのもとに小包が届く。ジョンがウィーンの下宿に置いたままにしてあったレコードが入っていた。リアの住所も新しい名前も書いてなかった。それきり二人は会うことがないまま、戦争がはげしくなり、ウィーンもヒットラーに蹂躙される。
 ドイツが敗れ、歩兵部隊の情報部に勤務していたジョンは、任務でウィーンにやって来た。かつて滞在したアパートの近くを訪ねて、リアの消息を求めるが誰も知る者はいない。おそらく収容所で死んだだろうと聞かされる。
 今はアメリカの将校用住宅となっているアパートの、かつてリアが訪ねてきたこともあった一室の窓辺に立ってジョンは、リアが佇んでいた階下のバルコニーを見下ろす。

 「ある少女の思い出」は、そんな話である。
 きのう読んだ「バナナフィッシュ」とも「コネティカット」ともちがって、すがすがしい印象を受けた。結末は残酷なのだけれど。原文の英語はサリンジャー調なのかどうか分からないが、訳文の日本語は端正でいい。You Tube で “My Foolish Heart” を聞きながら、読んだ。
 ぼくはこういう短編らしい短編が読みたかった。
 解説によると、あまりにもか弱いリアはナチスの暴力がなかったとしても傷ついただろう、結末に比してこの話の前半は軽薄すぎると批判した評論家がいたという。ぼくは全然そのようには思わなかった。
 サリンジャーの私生活を知ってしまっているので、もしリアが生き延びていたとしてもジョンと結ばれることはなかったと思うが、現実のひとりの少女に「永遠の女性」の幻影を見る男の恋物語としてぼくには理解できる。

 この作品は “Housekeeping” 誌に掲載された。
 ぼくの子どもの頃、わが家には、母親の旧友で日米開戦後はロスアンジェルスに帰っていた日系二世から、“Housekeeping” が時おり送られてきていた。
 ひょっとしたら、サリンジャーのこの作品が掲載された “Housekeeping” もわが家に届いていたかもしれない。

   *     *     *

 「ブルー・メロディー」も良かった。すごく良かった。
 これも、いろんな歌手や奏者による “My Foolish Heart” 、「愚かなり我が心」をYou Tube で流しながら読んだ。

 ヨーロッパ戦線に従軍中のわたし(サリンジャー)が、ドイツに向かうトラックに乗り合わせたテネシー州出身の軍医大尉ラドフォードから聞いた話である。
 
 1920年代、クーリッジ大統領の頃である。テネシー州メンフィス近郊の田舎町出身のラドフォードは、小学校の(?)同級生のペギーと一緒に、町の大通りに面したハンバーガー屋に入り浸っている。その店のピアノ弾きのブラック・チャールズと仲良しで、学校帰りや学校をさぼってはしょっちゅう遊びに来るのだった。
 ある時、チャールズの姪のルイーズがやって来て、この店で歌うようになる。やがて彼女の歌が評判になり、ルイーズはメンフィスの店にスカウトされるのだが、何があったのかふたたび戻ってくる。

 ラドフォードが寄宿学校に入ることになり、ペギー、チャールズ、ルイーズが連れだってお別れのピクニックに出かける。草むらでランチをしていると、突然ルイーズが激しい腹痛を訴えて倒れる。チャールズのポンコツ車で町の病院に運び込むのだが、彼女が黒人であることを理由に2軒続けて治療を拒否される。メンフィスにある3軒目の病院に向かう途中、交差点で停車した車の中でルイーズは死んでしまう。
 それから15年後の1942年に、ニューヨークのホテルのレストランで、ラドフォードは偶然ペギーと再会する。何気なく聞こえてきた懐かしいテネシー訛りで彼女だと気づくのである。二人はルイーズの思い出を語り合う。
 
 そんな話を、1944年のドイツに向かう軍用トラックの中でラドフォードがわたし(サリンジャー)に語るのである。
 “Black lives matter!” と声高に叫ぶことはないが、ラドフォード(を介したサリンジャー)の差別に対する怒りと悲しみが伝わってくる。
 この作品は “Cosmopolitan” 誌に掲載された。どうもサリンジャーの作品は彼が掲載にこだわった “The New Yorker” 誌ではない他の雑誌に掲載されたものの方が普通の短編小説らしくて、ぼくは好きだ。

 ぼくは、気になっているサリンジャーの短編をやっぱり読んでみようかという気持ちになった。
 荒地出版社の『サリンジャー選集』で。ぼくの思い出の中にあるエンジ色と白のツートンカラーにサリンジャーの横顔の点描画が描かれた表紙の古い『サリンジャー選集』ではなく、新装版になってしまっているけれど。

 2021年11月13日 記

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