豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

今津勝紀『戸籍が語る古代の家族』

2022年06月24日 | 本と雑誌
 
 今津勝紀『戸籍が語る古代の家族』(吉川弘文館、2019年)を読んだ。
 日本史の通史の古代編を読んで古代家族を知りたいと思っても、古代家族のイメージが湧いてこないので、そのものズバリの書名の本書を借りてきた。

 面白かった。
 結論的には、古代の「戸籍」や、その前提となる「戸」「里」は、必ずしも古代家族の実像を反映したものではないことが分かった。
 古代戸籍および「戸」、「里」は基本的に租庸調の徴税および兵士の徴発を目的としており、しかも、兵役逃れ、徴税逃れ、給田の不正受給のためなど、様々な理由から古代人も戸籍を偽ることがあったらしく(「偽籍」という。205頁)、戸籍が実態とかけ離れることもあったようだ。
 明治以降の兵役逃れのための養子縁組、相続税逃れのための孫養子、債務踏み倒しのための偽装離婚から、最近の持続化給付金の不正受給まで、小賢しい日本人は古代から現代に至るまでいつの時代にもいたのだった。
 
 さて、本書は「魏志倭人伝」に見られる「戸」数の話題から始まる。同書によれば、3世紀の卑弥呼の邪馬台国には7万余戸あったという。「日本書紀」によれば、6世紀に渡来人である秦人・漢人を一定の地域に集住させるに際して「戸」の呼称が用いられたことから、わが国の「戸」は、中国古代の戸が朝鮮半島を経由して伝播したと考えられる(16頁)。
 「書紀」によれば、後世まで氏姓の根本台帳となったのが、670年の「庚午年籍」(こうごねんじゃく)と呼ばれる戸籍である(23頁)。その後の律令による戸籍は30年間保存だったのに対して、庚牛年籍は永久保存とされた。しかし前述のような「偽籍」もあって、最終的には平安時代末期の11世紀には根本台帳たるべき庚午年籍は全国で散逸し「已に実無し」の状況になったという(「平安遺文」、24頁)。
 正倉院文書などの中に古代戸籍の現物が何件も保存されているという。それらは、「大日本古文書」「奈良遺文」「平安遺文」などを出典として引用されている。古代の戸籍担当の役人の毛筆、楷書の文字がきれいなことに驚かされる(32、46頁ほか)。

 古代の地方行政は、「国」「郡」「里」からなり、1里は50戸をもって編成された(26頁)。前述のように、「里」は軍事と徴税目的の人為的な組織であり、「戸」も軍事、徴税を支える基本単位として構想されたものであった(23頁)。
 戸籍には、戸の構成員が、男女奴婢の別および年齢区分によって記載された(33頁)。60歳以上の者や疾患のある者は課役負担を減免された。1戸の平均人数(戸口)は20人前後であった(35頁)。1戸1兵士の原則があったと思われ、そのために各戸から徴発される兵士の数を平準化するために操作が行われたと推測されている(直木孝次郎説、37頁)。
 なお、8世紀前半の人口は約450万人、平均余命は約28歳(しかし80歳まで生存したものもある)、合計特殊出生率は約6・5人と推定される(~73頁)。 

 古代の戸籍が課徴の台帳だとしても、戸籍から当時の家族の形態をまったく知ることができないわけではなく、戸主である男性を軸としたまとまりを示しており(95頁)、その範囲は戸主から男系、女系双方の親族関係をたどってイトコを超えない範囲の親族を組織したというのが最大公約数であろうとされる(杉本一樹説、98頁)。
 当時の戸籍には夫婦が同籍しているものや、乳幼児が父のみと同籍しているものもあり、夫婦別居の妻問婚が一般的だったわけではない(95頁)。戸籍には妻だけでなく妾が同籍しているものもあり、再婚率も高い(~122頁、150頁も参照)。なお夫婦は別姓である(100頁)。
 
 わが国には文字がなかったため、漢字が輸入されると、当時の人々は1音声に漢字1文字をあてる上代特殊仮名遣いを作り出した。「ツマ」は男女双方を指す言葉であり、「トフ」は「訪れる」ではなく「問う」の意味であり、したがって「ツマドヒ」とは「すでに性関係のある相手(ツマ)に口をきく行為」と解釈される(栗原弘説、135頁)。要するに「ツマドヒ」とはツマとの睦言、情交の意味であり、「妻問婚」という概念は意味をなさないという(137頁)。
 しかし婚姻は通いから始まった。養老令では男15歳、女13歳から結婚が認められたが、結婚が定まってから故なく3か月以上結婚がならざる場合等には、結婚を解消し改嫁することができた(142頁)。通婚の範囲は半径数キロ程度で、近親婚忌避も存在したが、異母キョウダイの婚姻例も見られ、外婚規範は明確ではない(150頁)。
 著者は、戸籍だけでなく、「万葉集」「日本霊異記」などの作品も援用して、古代の家族の実態を推測するが、「万葉集」の歌にも夫婦同居が見られることから、夫婦は通い(婚)から同居に移行したと推測される(153頁)。また、律令では婚姻に際して尊属近親への告知が要求されていたが、その実効性は疑わしく、ただ娘の性に対して母親の影響力は大きかったという(168頁)。

 良民の場合60歳になると正丁から次丁となり租税負担は半分になり、66歳になると租税は免除となった。80歳を超えると侍(じ)という介護者があてがわれ、介護者は力役が免除されたという。侍となる者は男で、子か孫の中から選ばれた(176頁)。
 現代の老人は70歳をすぎても、6月になると、固定資産税、都市計画税、特別区民税、都民税、介護保険料、健康保険料など、次々に請求書が襲ってくる。古代の高齢者がうらやましい。

 2022年6月24日 記
 

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