豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

きょうの軽井沢(2022年6月16日~17日)

2022年06月19日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 木曜日(16日)から日曜日(19日)にかけて、天気予報では梅雨の中休みで好天が続くとのことだったので、思い立って軽井沢に出かけてきた。
 めずらしく天気予報が見事に当たって、4日間とも軽井沢は好天に恵まれた。昨土曜日(18日)だけは、やや曇り空だったが雨はまったく降らなかった。おかげで室内にしっかり風を通すことができた。

 16日(木)の昼過ぎに到着。南軽井沢交差点の道路気象情報では気温は22℃だった。
 ツルヤで食料品を買い込む。ツルヤは今年で創業130周年とのことで、「ツルの恩返し」セール(笑)をやっていた。
 前にも書いたが、軽井沢の食料品店の栄枯盛衰をたどると、昭和30年代に(それ以前のことはぼくは知らない)明治屋、小松ストア、紀ノ国屋、ジャスコが相次いで進出しては、やがて消えていってしまったが、ツルヤはこれらの店舗にうちかって生き延びてきた。
 調べてみたら、明治屋だけはツルヤよりも創業が少しだけ古いが、他の店はすべてツルヤよりも後発の会社だった。ツルヤはもとは確か肥料問屋だった。

   

 17日(金)は、プリンス・ショッピングモール(現在の正式名称は知らない)に、孫のスニーカーを探しに行った。
 子供向けのアパレルメーカーに就職したゼミ卒業生から、「洋服は何でもいいけど、靴だけはいい物を買ってあげてください」とアドバイスされたので、足が大きくなって靴のサイズが小さくなるたびに、奮発してナイキのスニーカーを買っている。
 残念ながら、今回はナイキショップにサイズがなかったので、後日、旧軽の靴屋で買った。
   

 ショッピング・モールを歩いていると、離山の頂きごしに、浅間山の山頂と石尊山がわずかに見えるのを発見した。

   

 昼食は、毎度のことで能がないが、国道18号沿いの追分そば茶家で。この店ももう20年以上になるだろうか。最初は「かぎもとや追分店」と称していたように記憶するが。
 先日何かのテレビ番組で、地元のタクシー運転手がすすめるおいしい店というコーナーに、追分そば茶家が出てきた。店主の話では、現在の天皇が皇太孫だったころ、この店に来て店内を走り回っていたという。この店の店内には毎年皇室アルバム風のカレンダーが飾ってある。
 夫婦で天ぷらを二人前食べられなくなったので、最近は2人でシェアしている。

  

 昼食後、天気がよく青空がきれいなので、浅間山を眺めに行くことにした。
 散歩で通りかかったぼくと同年代の老人と、しばし言葉を交わす。ぼくは、軽井沢の散歩の途中で人と会話することはない。先方が気さくな人で、人懐っこく話しかけてきた。
 当然浅間山が話題になる。
 子どもの頃に、峰の茶屋から浅間山に登ったことや、石尊山に登ったが途中で挫折したこと、赤滝、血の池などという名前にもかかわらず、赤い水ではなかったことなどを話した。
 彼によれば、今では石尊山(かれは「せきぞん」と発音していたが、ぼくは「せきそんさん」である)の登山道が整備されて、自転車で登る若者までいるとのことである。南側の噴火口に「ゴリラの顔」ともう一つ何とかというあだ名をつけたとも言っていたが、忘れてしまった。
 赤い水が湧いているところもあるとのことだったが、もう浅間山や石尊山に登る元気はないので確認はできない。
 
   

 浅間山は、遠くから眺めることができれば十分である。映画『カルメン故郷に帰る』を撮影したときの笠智衆よりも年寄りになってしまったのではないか(上の写真、冒頭の写真はその時のもの)。

 2022年6月19日 記