6月18日(土)はやや曇り空。
この日は旧軽井沢(旧道)に出かけた。いつもの通り、神宮寺にとめる。
今回は、堀辰雄の「美しい村」「ルウベンスの偽画」や、川端康成の『高原』などに出てきた光景を確認するのが目的に1つだった。堀や芥川が滞在したことがある「軽井沢ホテル」はこの辺りだろうか、川端が逗留した「藤屋旅館」はこの辺りだろうかなどと考えながら、聖パウロ・カトリック教会の周辺や神宮寺の境内を歩いた。
コロナ禍の緊急事態が解除され、人出も少し回復してきた印象。みんなマスクはしているが、コロナ感染を心配する気配は感じられなかった。
堀辰雄が芥川か川端かに送った葉書に「神宮寺の枝垂桜がいま満開です」と書いているが(堀辰雄『風立ちぬ』角川文庫、1950年! 262頁。軽井沢ホテルの位置もこの葉書に示してあった)、その枝垂桜(だと思う)が参道の脇に立っていた。立札に樹齢約400年とある。軽井沢には、浅間山以外にも変わらないものがもう一つあった。
旧道入口わきの竹風堂に「今季は営業しません」という張り紙があった。ここではマロンソフトくらいしか食べなかったのだが、やはり寂しい。竹風堂の栗羊羹、栗鹿の子は時おり親戚に送るのだが、配送依頼が便利なのでツルヤで注文している。
昔は町営駐車場からこの竹風堂に抜けることができたのだが、最近はどうなっていたのか。
草軽電鉄の旧軽井沢駅と踏切際のあたりもずい分様変わりしてしまった。周辺の土産物屋も次々に淘汰されてしまって、健在なのは右手の八百屋さんくらいか。
夕方、肩の脱臼でリハビリ中の家内は、湯治をかねて千ヶ滝温泉に出かける。
以前松山で学会があった折、朝一番で道後温泉の本館に行った友人が、「芋の子を洗うような混雑で、温泉気分もあったものではなかった」と述懐していたので、家内にも星野は避けてスケートセンターくらいが空いているのではないかとアドバイスしたのだが、それでも結構混んでいたという。
ぼくは温泉は嫌いなので、旧千ヶ滝スケートセンターのテニスコートや、旧西武百貨店軽井沢店跡、旧文化村の親戚の家の周辺を散策して時間をつぶした。
今では雑草のおい繁っているテニスコートでは、その昔、皇太子時代の上皇がテニスをするのを眺めたこともあった。かつての観客席のはずれになぜか公衆電話ボックスがポツンとあった。森高千里の「渡良瀬橋」を思わせるけど、あの電話で恋を語る若者などいないだろう。
待ち合わせまでなお時間があったので、いつもはクルマで通り過ぎるだけだった、堤康次郎の銅像を見物してきた。
緑の木立の向うに銅像があって、右側には神社と鳥居が立っていた。
わが家の軽井沢との縁は、彼の千ヶ滝開発の恩恵をこうむっている(remote causation)。わが家が土地を買ったのは国土計画からだったし、ぼくの軽井沢、千ヶ滝の思い出は、西武、国土計画(昔は別会社で、実業団アイスホッケーのチームも分かれていた)が経営したグリーン・ホテル、軽井沢スケートセンター、西武百貨店軽井沢店などとともにある。
浅間山麓の米軍軍事演習場化反対運動の成功(基地化断念)の裏には、千ヶ滝に広大な土地を所有しており、衆議院議長でもあった堤の影響力もあったようだ(荒井輝允『軽井沢を青年が守った』ウイン鴨川、2014年、104頁)。同書には「康治朗」と表記してあるが、銅像の銘板は「康次郎」だった。
あまり手入れも行き届いてない様子で、枯れ枝が散らかっていた。奢れる者も久しからず、のあわれを感じた。
そう言えば、西武があちこちのプリンス・ホテルを手放すという記事を読んだが、「プリンス・ホテル」の本丸とも言うべき、本当に “プリンス” が毎夏休みに滞在していた千ヶ滝プリンス・ホテルがなくなってしまったのは何年前のことだったか。秋篠宮が幼少の頃に、あのホテル前の道路を歩く姿を見かけたことがあったから、50年近く前のことになるのだろう。
あの頃も道路から建物は見えなかったが、建物は今でも残っているのだろうか。「千ヶ滝プリンスホテル」と手書きの書体で墨書(?)された門標、火山岩を積んだ低い門柱と木製の大きな門扉はしばらく残っていたが、それらも今はない。
旧スケートセンター入り口から千ヶ滝温泉に下る坂道の中腹から眺めると、夕霞に煙った浅間山と前掛山(?)と石尊山が三つのこぶになって見える場所があった(冒頭の写真)。
真中の山は、わが家では「前掛山」と言い慣わされてきたが、地図には載っていない。
そして、きょう19日(日)はもう帰京の日。
朝6時前から青空が広がり、木々の緑が朝日をあびて輝いている。帰るのがもったいない天気である。
9時前に帰り支度を済ませて、出発。
発地市場で、野菜を買って帰路についた。この時期、野菜は数も質もいまいち。細い薩摩芋くらいの玉蜀黍が2本で450円だった。この時期どこで玉蜀黍を作っているのだろう。家内によれば値段も東京とそれほど違いはない、ただ東京に比べて新鮮なので買って帰るとのこと。
昨日立ち寄った地元のオバさんも、まだ野菜ができてなくて差し上げるものが何もなくて、と申し訳ながっていた。
峠を下り、藤岡に近づくと気温は30℃を越えていた。
2022年6月19日 記