(承前)
原武史『平成の終焉--退位と天皇・皇后』(岩波新書)を読んだ感想、その2。
皇后(美智子妃)が五日市郷土館を訪問した際の発言も、著者によって批判される。
2013年(平成25年)の誕生日記者会見における回答(文書)で、皇后の言葉は以下のようなものであった(宮内庁HP「皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)」から)。
「※5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。※※ 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」
この皇后の言葉を引用した後で(170頁。ただし冒頭※から※※までの部分は引用されてない)、著者は、「皇后の言葉を敷衍すれば」、日本国憲法は決して米国からの押し付けではない、その原形にあたるものが明治初期の「市井の人々」によって作られていたからだとして、改憲を目ざす安倍政権に対する批判として護憲派の人々から歓迎されたゆえんである旨を述べる(171頁)。
この皇后の言葉に対して、著者は、「五日市憲法」が定めた基本的人権保障や法の下の平等などに言及しながら、この憲法が神武の正統である天皇を神聖視する規定をおいていたことに言及しないことによって、皇后は「一つの政治的立場を表明しているように思われる」と批判するのだが(171~2頁)、これは的外れの批判だと思う。
上に引用したように、皇后の「回答」では、日本国憲法が米国からの押し付けではない云々とは一言も言っていない。「敷衍すれば」と著者はいうが、「敷衍」という言葉の意味をどんなに敷衍しても、上記の皇后発言から「押しつけ憲法」論批判を導くことはできないだろう。
もし著者が批判するのであれば、その対象は、皇后の言葉ではなく、「五日市憲法」の天皇制規定それ自体であろう。
自由民権家たちが構想した私擬憲法は、五日市憲法だけでなく、ほぼすべてが君主制、天皇制を採用している。例えば小田為綱案は、皇帝が暴政を行った場合には人民は廃立の権利を有するとして、君主の地位を国民の意思にかからしめる点で、日本国憲法第1条につながる構想として注目されるが、その小田案にしても、天皇制を「万世一系の皇統は万国未だその比類を観ず」、「万世一系の皇族は日本人民にして誰か冀望(きぼう)せざる者あらんや」(原文は片かな)と称揚しているのである(家永三郎ほか『新編・明治前期の憲法構想』福村出版、2005年、49頁ほか)。
小田案は不徳の皇子は嫡長でも廃帝させるなど、「血統」よりも「徳」を重視していると評される。ちなみに同案は、男系が絶えた場合は女系によるとしている。
たんなる思想、机上の空論ではなく、現実の政治運動だった自由民権運動においては、天皇制が厳然として存在し、その廃止が現実にありえない以上、その存在を前提として、小田案のように天皇の権力を統制する手段を憲法に規定したり、植木枝盛や馬場辰猪のように、当面は君主制を前提として議会による「民主的」コントロールの手段を構想したことは適切な選択であったと思う。
ここでも、私たちに課せられた課題は、自由民権運動の中から生まれた私擬憲法すらもが天皇制、君主制を支持していた背景や、自由民権運動家たちの心情の解明である。
民主政治の根底には「徳」(virtue)が存在しなければならないと、阿部斉さんの『政治』(斎藤眞、有賀弘共著、東大出版会、1967年)か何かに書いてあった(未確認)。モンテスキュー『法の精神』は、民主政(共和政)の原理は「徳」(vertu)であり(岩波文庫版(上)71頁)、民主政における教育の目標も「徳」である(95頁)、共和政における「徳」とは祖国愛と平等愛のことだといい(31頁)、ホッブズ『法の原理』は、自己保全こそすべての人間が目指す目標であり、自己保全に資する自然法や自然法に従う慣習を「徳」(virtue)と呼ぶ(ちくま学芸文庫190頁)。新渡戸稲造が “democracy” を「平民道」と訳したのも同趣旨と思われる。
ぼくは、すべての個人が個人として尊重され、他人の権利を侵害しないかぎり、各個人が自分らしく生きることができる自由な社会を保障することが日本国憲法の精神(13条、個人の尊重)だと思う。
「徳」の有無の評価は主観的なものであるが、ぼくは、個人の自由を尊重する憲法の精神こそ、民主主義の根底にあるべき “virtue”、民主主義における「徳」の核心と考える。
小田為綱は「万世一系」の天皇に「血統」ではなく「徳」の継承を求めたが、ぼくは、本書でも紹介された皇太子時代以来の長年にわたる行動や発言を見聞きして、天皇、皇后(現上皇夫妻)は、日本国憲法の精神を尊重しつづけ、それを行動で示したという意味で「有徳」の人であると思っている。
ぼくたちの世代は、リベラルであろうとする者は天皇制を支持してはいけないとする空気を感じてきた。しかし、もうこの年になったら、自分の感情に正直になろうと思う。
五日市憲法に対する皇后の「言葉が護憲派の人々から歓迎された」ことを、ぼくは本書ではじめて知ったが(171頁。出典は明示されていない)、ぼくも上のような意味で歓迎したい。
※ 適切な写真がないので、イギリスのエリザベス女王即位70年記念式典を報じたNHK-BS1の画面を添えておいた。ただし、歓迎する群衆の大部分は白人で、ロンドンの街中で見かけた人口構成とはまったく異なっていたのが印象的だった。
2022年6月9日 記
原武史『平成の終焉--退位と天皇・皇后』(岩波新書)を読んだ感想、その2。
皇后(美智子妃)が五日市郷土館を訪問した際の発言も、著者によって批判される。
2013年(平成25年)の誕生日記者会見における回答(文書)で、皇后の言葉は以下のようなものであった(宮内庁HP「皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)」から)。
「※5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。※※ 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」
この皇后の言葉を引用した後で(170頁。ただし冒頭※から※※までの部分は引用されてない)、著者は、「皇后の言葉を敷衍すれば」、日本国憲法は決して米国からの押し付けではない、その原形にあたるものが明治初期の「市井の人々」によって作られていたからだとして、改憲を目ざす安倍政権に対する批判として護憲派の人々から歓迎されたゆえんである旨を述べる(171頁)。
この皇后の言葉に対して、著者は、「五日市憲法」が定めた基本的人権保障や法の下の平等などに言及しながら、この憲法が神武の正統である天皇を神聖視する規定をおいていたことに言及しないことによって、皇后は「一つの政治的立場を表明しているように思われる」と批判するのだが(171~2頁)、これは的外れの批判だと思う。
上に引用したように、皇后の「回答」では、日本国憲法が米国からの押し付けではない云々とは一言も言っていない。「敷衍すれば」と著者はいうが、「敷衍」という言葉の意味をどんなに敷衍しても、上記の皇后発言から「押しつけ憲法」論批判を導くことはできないだろう。
もし著者が批判するのであれば、その対象は、皇后の言葉ではなく、「五日市憲法」の天皇制規定それ自体であろう。
自由民権家たちが構想した私擬憲法は、五日市憲法だけでなく、ほぼすべてが君主制、天皇制を採用している。例えば小田為綱案は、皇帝が暴政を行った場合には人民は廃立の権利を有するとして、君主の地位を国民の意思にかからしめる点で、日本国憲法第1条につながる構想として注目されるが、その小田案にしても、天皇制を「万世一系の皇統は万国未だその比類を観ず」、「万世一系の皇族は日本人民にして誰か冀望(きぼう)せざる者あらんや」(原文は片かな)と称揚しているのである(家永三郎ほか『新編・明治前期の憲法構想』福村出版、2005年、49頁ほか)。
小田案は不徳の皇子は嫡長でも廃帝させるなど、「血統」よりも「徳」を重視していると評される。ちなみに同案は、男系が絶えた場合は女系によるとしている。
たんなる思想、机上の空論ではなく、現実の政治運動だった自由民権運動においては、天皇制が厳然として存在し、その廃止が現実にありえない以上、その存在を前提として、小田案のように天皇の権力を統制する手段を憲法に規定したり、植木枝盛や馬場辰猪のように、当面は君主制を前提として議会による「民主的」コントロールの手段を構想したことは適切な選択であったと思う。
ここでも、私たちに課せられた課題は、自由民権運動の中から生まれた私擬憲法すらもが天皇制、君主制を支持していた背景や、自由民権運動家たちの心情の解明である。
民主政治の根底には「徳」(virtue)が存在しなければならないと、阿部斉さんの『政治』(斎藤眞、有賀弘共著、東大出版会、1967年)か何かに書いてあった(未確認)。モンテスキュー『法の精神』は、民主政(共和政)の原理は「徳」(vertu)であり(岩波文庫版(上)71頁)、民主政における教育の目標も「徳」である(95頁)、共和政における「徳」とは祖国愛と平等愛のことだといい(31頁)、ホッブズ『法の原理』は、自己保全こそすべての人間が目指す目標であり、自己保全に資する自然法や自然法に従う慣習を「徳」(virtue)と呼ぶ(ちくま学芸文庫190頁)。新渡戸稲造が “democracy” を「平民道」と訳したのも同趣旨と思われる。
ぼくは、すべての個人が個人として尊重され、他人の権利を侵害しないかぎり、各個人が自分らしく生きることができる自由な社会を保障することが日本国憲法の精神(13条、個人の尊重)だと思う。
「徳」の有無の評価は主観的なものであるが、ぼくは、個人の自由を尊重する憲法の精神こそ、民主主義の根底にあるべき “virtue”、民主主義における「徳」の核心と考える。
小田為綱は「万世一系」の天皇に「血統」ではなく「徳」の継承を求めたが、ぼくは、本書でも紹介された皇太子時代以来の長年にわたる行動や発言を見聞きして、天皇、皇后(現上皇夫妻)は、日本国憲法の精神を尊重しつづけ、それを行動で示したという意味で「有徳」の人であると思っている。
ぼくたちの世代は、リベラルであろうとする者は天皇制を支持してはいけないとする空気を感じてきた。しかし、もうこの年になったら、自分の感情に正直になろうと思う。
五日市憲法に対する皇后の「言葉が護憲派の人々から歓迎された」ことを、ぼくは本書ではじめて知ったが(171頁。出典は明示されていない)、ぼくも上のような意味で歓迎したい。
※ 適切な写真がないので、イギリスのエリザベス女王即位70年記念式典を報じたNHK-BS1の画面を添えておいた。ただし、歓迎する群衆の大部分は白人で、ロンドンの街中で見かけた人口構成とはまったく異なっていたのが印象的だった。
2022年6月9日 記