豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

黒岩麻理『消えゆくY染色体と男たちの運命』

2022年06月22日 | 本と雑誌
 
 黒岩麻理『消えゆくY染色体と男たちの運命--オトコの生物学』(秀潤社、2014年)を読んだ。
 以前、NHK-BSプレミアムの「サイエンス・ゼロ」(だったか、織田祐二が司会する番組)に著者が出演していて、Y染色体の短小化に従って「男」は絶滅するかを解説していた。
 面白かったので図書館で借りてきたのだが、天皇に興味が行って放置していたら、返却期限が迫ってきたので読んだ。

 「男」とは何か、「女」とは何か、というテーマはぼくが現役時代に最後に関心をもったテーマだった。
 家族法の授業では「婚姻の要件」というのをやるのだが、最近話題の同性婚の可否の前提として、「そもそも、“男” とは誰か、 “女” とは誰かを定義してごらん」と質問すると、ほぼ答えられない。
 「それでは辞書では何と定義しているか調べてごらん」と言って、スマホで調べさせる。男とは「人間の性別の1つで、女でない方」!(広辞苑)。女は「人間の性別の一つで、子を産み得る器官をそなえている方」(同)など、どの国語辞典も大同小異である。「それでは、病気で子宮を摘出したり、卵巣を摘出した人は “女” ではなくなって “男” になるのね?」などと突っ込みを入れると、彼らは沈黙してしまう。
 受講している学生たちが悪いのではない。憲法では、婚姻は「両性」の合意のみに基づいて成立すると言っていながら(24条)、わが国の法律には「両性」すなわち「男」と「女」を定義する規定はないのである。したがって、たとえ日本の民法が異性婚、すなわち「男」と「女」の婚姻だけを想定しているとしても、婚姻当事者が「男」か、「女」かを判断する基準を定めた法律はないのである。
 実際には、新生児を取り上げた産科医ないし助産師が児の外性器などから経験的に判断して出生証明書の性別欄に「男」か「女」かにチェックを入れて(実は出生証明書の性別欄には「不明」と記載することも認められている)、それで新生児の(その後の)性別が決まっているのである。
 ところが、すべての人間を「男」と「女」に二分する考え方に対して最近の法律学からは疑問が提起されている。古くヨーロッパでは、両性具有者は法的な性別を自分で決めてよいとする時代と地域もあった。最近の生物学の世界でも、「男」(オス)と「女」(メス)は二分可能なカテゴリー(範疇)ではなく、性別はグラデーションないしスペクトラム(連続体)とする考えが有力になっている(麻生一枝『科学でわかる男と女になるしくみ』サイエンス・アイ新書[ソフトバンク]、2011年など)。
 下の写真は、生物学において「性」をグラデーションとみる見解を紹介する新聞記事(東京新聞2022年2月10日付)。
   

 最近では少しずつだが男女二分法にこだわらない社会的、公的な対応をする場面は増えている。日本では、受験の出願書や就職時の履歴書などで「性別欄」廃止したりする例が見られるが、諸外国では出生届の性別欄や(ドイツなど)、パスポートの性別欄を(アメリカでは「M」「F」のほかに「X」とすることができる。下の写真は朝日新聞2021年10月28日付の記事)廃止する国も少なくない。
   

 さて、黒岩本だが、残念ながら著者は「性別=グラデーション」説はとらないようである。そもそも書名からして「消えゆくY染色体」とともに「男」の運命はどうなるのかというのだから、生物的な「男」というカテゴリーの存在が前提とされている。
 著者は、「性決定」を生物学的にかつ具体的に定義すると、「生物としてのオスとは、子孫を残すための精子を生産する個体」のことで、「一方で卵子を生産する個体をメス」とする(21頁)。この定義も、広辞苑と同じく人間(ヒト)の少なくない部分は「男」でも「女」でもないことになりそうである。 

 しかし同時に著者は、「性」は受精の瞬間から一貫して男女に二分できるわけではなく、性決定が徐々に進行するものであることも指摘する(3頁、21~2頁)。
 著者によれば、「男のスタート」は受精卵の性染色体がXYとなることである、「しかし、それだけでは男には」ならない、胎児の時にY染色体上の遺伝子(SRY遺伝子、22頁)や環境(30頁)の働きかけが「男スイッチを入れること」、その後に「男性ホルモンのシャワーを浴びること」(アンドロゲンシャワー、54頁)、出生後も遺伝子やホルモンがバランスよく働くことによって「男はつくられていきます」とあって、性決定(性別の確定)が段階的に行なわれ、「男」が形成されることになる(3頁~)。
 さらに、第2次性徴や男性脳の形成へと進む(55頁~)。「草食男子」の話題まで登場して、「男」の中にもグラデーションがあることを論じている(48頁~)。
 こうしてみると、必ずしも、最初の「男」「女」の定義が維持されているわけではなく、論旨からは著者も「性別=グラデーション」説をとっているようにも読める。

 本書で著者が一番言いたかったことは、「性のグラデーション」ではなく、Y染色体の消滅である。
 もともとはX染色体と同じ大きさだったY染色体が、哺乳類の数億年の進化の過程で次第に小さくなり(一本しかないので損傷や欠失を補てんできなかったため)、機能(Y染色体上の遺伝子は50種しかない)も少なくなっており、このまま行くと1400万年後にはY染色体は消滅するという仮説が紹介される(~185頁)。
 しかし、著者自身はそれでも人類は滅亡しない、たとえY染色体が消滅しても、あの手この手で「男」はしぶとく生き延びるだろうと予言する(201頁~)。
 Y染色体をもたない哺乳類は世界で3種確認されているが、そのうちの2種は日本に生息している「アマミトゲネズミ」と「トクノシマトゲネズミ」だという!(195頁)。彼らはY染色体上にあるべき遺伝子を他の染色体と融合させているのだそうだ。人類の存続がトゲネズミの生存戦略にかかっているというのもトホホ(?)な話だが、いずれにせよ1400万年後のことだから、その前に地球や人類は滅んでしまうような気もする。

      

 以下は、豆知識。その1は、ヒトのY染色体には50種程度の遺伝子しか存在しないところ、その大部分は精子をつくる精巣の造営機能にかかわるが、男の身長を(女より)高くする機能や(86頁~)、歯の形成にかかわる遺伝子も含まれること(92頁~)がわかっているという。
 その2は、日本人のY染色体の特徴である。ラテンアメリカ先住民やポリネシア人のY染色体には侵略者であるヨーロッパ系白人由来のY染色体が見られ、チンギスハーンに由来すると思われるY染色体をもつアジア人が1600万人存在する(これは福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書、2008年)にも出ていた)。これに対して、アリューシャン列島から渡来した縄文人と、朝鮮半島から渡来した弥生人に由来するY染色体をもつ日本人は、全国的にほぼ1:1 の比率で分布しており、日本においては比較的平和のうちに縄文人と弥生人が混じり合ったことがY染色体からうかがわれるという(42頁~)。
 その3は、父親の記憶は精子上の遺伝情報として子に遺伝することが実験によって証明されたという話題である(172~3頁)。花の香りを嗅がせながら同時に苦痛を与えられたマウスから生まれた子マウスは、苦痛を受けた経験がなくても、その花の臭いを嗅ぐと脅えた行動をとる。その子の臭覚に関する遺伝子には特別な印が確認されたというのだ。親が受けたストレスが子に遺伝することも、熱刺激を受けたショウジョウバエによって証明されたという(“エピジェネティクス” という概念で説明されるそうだ)。

 「読んで考えないことは、食べて消化しないことと同じだ」というバーク先生に従って、読んで考えてみた(書くことは考えることであれば、だが)。それでは図書館の返却ボックスに返しに行くか・・・。雨になる前に。

 2022年6月22日 記

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