ジャレド・ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』(長谷川寿一訳、草思社文庫、2013年、原題は“Why is Sex Fun ?”、旧邦題も「セックスはなぜ楽しいか」)を読み始めたが、半分でやめた。
著者は人間の性生活は他の哺乳類と比べて奇妙なものだという。
具体的には、
1 ヒト社会のほとんどの男女は長期的ペア関係(結婚)を維持し、夫婦間(でのみ)繰り返し性交を行なう
2 夫婦は両者の間に生まれた子を共同で育てるパートナーにもなる
3 男女は夫婦になるが、他の夫婦とテリトリーを共有し合う
4 性交は内密に行なわれる
5 ヒトの排卵は隠蔽されており、ヒトは受精のためではなく楽しむために性交する
6 女性は4~50代を過ぎると閉経を迎え、繁殖能力が完全に停止するする
という6点を指摘して、人間の性生活が「奇妙」、他の哺乳類に比べて特殊だという(15~7頁)。
これを「進化生物学」の観点から説明したのが本書である(らしい)。
指摘された6点は、確かに現代の人間の配偶行動ないし性行動をおおむね反映していると思うが、「結婚」や「共同養育」などは、はたして最近の人間に一般的な事実といえるのか疑問がある。
そもそも「婚姻」や「養育」を、あるいは「一夫一婦制」や「姦通」を「進化生物学」の観点から分析することにどれほどの意義があるのか、ぼくには分からなかった。
婚姻、子の養育、扶養、相続、それらの関連性、あるいは姦通(不貞行為)については、家族法その他の領域からのアプローチのほうがぼくには説得的に思えた。例えば、たまたま今読んでいるのだが、比較家族史学会編『扶養と相続』(早稲田大学出版部)の諸編を読んで、そこで示された所説を「進化生物学」の観点から検討し直す必要はぼくには感じられない。現在の日本の結婚・離婚、姦通、子育て、扶養、相続を考える場合に「進化生物学」の知見が役に立つことはないだろう。
「なぜ男は授乳しないのか?」でしんどくなり、「セックスはなぜ楽しいか?」でやめる決断をした。他の哺乳類動物の繁殖戦略にはなるほどと思う個所もあったが、それに対比される人間の「奇妙さ」はあまり実感できなかった。「人間」一般ではなく、いかにもアメリカ西海岸のインテリ的な「人間」が垣間見えてしまうのである(「マイホームパパ説」(116頁)など)。
R・ドーキンス『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)や、福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書)を読んだときのような衝撃というか、「目から鱗」的な意外さ、新鮮さは感じられなかった。
訳者あとがきが言う「トンデモ系の類書」と本書との違いも見分けられなかった。ぼくには縁のない本だったのだろう。何でこの本を借りてきたのかも思い出せない。
今日が返却期限なので、今から散歩がてら返却ボックスに行ってこよう。
2022年6月23日 記