『魂の叫び』や『少年たちの迷宮』を読み、イギリスの少年刑事司法、非行少年の処遇、陪審制度などについて書きこんだ。
しかし、正直なところ、これらの本を20年前に購入した動機、そして今回読んだ動機は、年少者の責任能力の有無への関心だけではなかった。
10歳の少年(少女)による幼児殺害事件という「猟奇」的事件への関心がなかったとは言えない。ちなみに、「猟奇」とは、「奇怪なもの、異常なものに強い興味をもち、それを探し求めること」([現代国語例解辞典、小学館])であるらしい。
事件当時、これらの事件を連日報じたタブロイド新聞を買い求め、テレビに釘づけになったイギリスの庶民と同じ興味がなかったと言ったら嘘になるだろう。
ぼくはまだ中学生だった頃、軽井沢の旧道沿いにあった<三笠書房>の店先に置いてあった、アメリカ(?)の犯罪実話雑誌を立ち読みしたことがある。
道路に近い書棚の下の方に置いてあった。立ち読みではなく、しゃがみ読みだったかもしれない。道路側のショー・ウィンドウからは夏の日ざしが射し込んでおり、外の道路を外国人の老夫婦が歩いていた(だろう)。
しかし何気なく手に取った(猟奇趣味?)その雑誌には、殺人事件の現場の写真や殺害された被害者の死体の写真なども載っていて、ぼくは血の気が引いた。
それから数年後、角川書店が横溝正史の復刊でブームを作ったあたりから、出版界に<昭和レトロ>ブームが起きて、新青年などで一世を風靡した作家の復刻版が相次いで出版されるようになった。
その中に、牧逸馬の<世界怪奇実話>シリーズもあった。社会思想社の現代教養文庫(!)に入っていた。
こんな本を読んでいると、ぼくも登場人物のような犯罪者になるのではないかと祖母が心配していたが、幸いそのようなことはなく、無事社会人として生きて来た。
祖母を心配させまいと、牧逸馬の本はどこかに仕舞いこんだまま見つからなくなってしまっていたのだが、最近本棚の奥から数十年ぶりに出てきた(上の写真)。
牧逸馬『浴槽の花嫁--世界怪奇実話Ⅰ』は、奥付によれば、1975年6月刊とある。
久しぶりに第1話「女肉を料理する男」を読んだ。19世紀末に、ロンドンのイースト・エンドで起きた連続売春婦殺害事件、「切り裂きジャック」の話である。
この題名は、テーマにそぐわないもので、絶対におかしい。題名だけは、読者の猟奇趣味におもねっている。
「辻君」、「襤褸」など、時おりやや古風な言葉が出てくるが、文章は簡潔で、読みやすい。1930年代の作家の文章とは思えない。犯罪ドキュメントのジャンルに入るだろう。ちなみに巻末の解説は松本清張が書いている。
驚くことに、牧は実際にロンドンまで取材に行っており、ボディーガードを雇って夜のイースト・エンドを歩いている。
決しておどろおどろしい描写ではなく、事実を追っていて(その事実はグロテスクだが)、(逮捕されることのなかった)犯人の推理についても当時の諸説を検討している。牧は、ロシア人医師説、アメリカ滞在経験のある医師説などを有力視している。
その後、DNA鑑定によって(当時から疑いをもたれていた)ポーランド人犯人説が有力になったという新聞記事を読んだ(2014年9月8日毎日新聞夕刊)。
旧軽井沢の三笠書房でアメリカの犯罪実話雑誌を目にしたのは(1963、4年ころの)8月、牧逸馬を読んでいたのも(1975年ころの)8月だった。
中学生の頃に定期購読していた旺文社の「中学時代」だったか、学研の「中2コース」だったかの付録に付いていた文庫本で「牡丹燈籠」の原典である中国の怪談を読んだのも8月だった。棺桶の中で女の幽霊と主人公が眠るラストシーンを描いた挿絵を今でも忘れない。
8月は怪奇小説の季節である。
2020年8月29日 記