きのう、8月29日午前中にBS放送をつけると、シネフィルWOWOW(451ch)で、篠田正浩監督『少年時代』(柏原兵三、藤子不二雄A原作)をやっていた。
この映画はぼくの好きな映画の一つだが、ビデオもDVDも販売されておらず、街の映画館でも上映されないため、めったに見ることができない。
夏の終わりに(今年の夏はまだ終わりそうにないが)、1945年の夏の終わりとともに終わった一つの少年時代をすがすがしい気持ちで見た。
ぼくにとって、8月映画は『火垂るの墓』と『少年時代』である。
ぼくは昭和30年代初めに、毎夏を母の実家のあった仙台で過ごしたが、地元の子どもたちに標準語(東京弁?)を馬鹿にされて、いじめられた経験がある。当時は仙台の子でも東北弁丸出しで喋っていたし、東京から来た子はスカして見えたのだろう。
疎開した少年の比ではないだろうが、彼らの立場を少しは実感できる世代である。
かれら仙台少年とぼくの人生は、その後二度と交差することはなかったが、おそらく『少年時代』のラストシーンで、東京に帰る風間君が乗った汽車に向かって手を振っていた武も、その後風間君と会うことは二度となかっただろう(最初の写真)。
『少年時代』では、登場人物がみんな頭を丸刈りにしているのも、この映画の本気さを示している。
最近のテレビや映画は、時代背景が戦争中であるにもかかわらず、時には軍人役の俳優までもが、平気で髪を伸ばしたままで出演していたりして、興ざめする。
リアリティーがないというのではなく、その作品の製作者、出演者の真剣さが感じられないのである。
ぼくの記憶に残るものでは、何十年も前にNHKテレビで放映された『歳月』という、戦争中の野田の造り醤油屋を舞台にしたドラマがある。主役の中井貴一は短めにカットしただけだったのに、脇役の船越栄一郎が丸刈りになっていた。ヒロインは確か島田陽子だった。
最近では三浦春馬である。ぼくは、三浦春馬という俳優を亡くなるまでほとんど知らなかったのだが(10年以上昔に近所の三菱銀行のポスターで見かけたくらいである)、亡くなった後で、戦争を描いた作品で彼が頭を丸刈りにしているのを見て、彼の真摯さを知った。
2020年8月30日 記