今年の連休は、自分で勝手に《サマセット・モーム週間》と決めて、久しぶりにモームの作品を読んで過ごした。
その後、授業が再開されてモームもすっかりご無沙汰になってしまった。
ところが、きのうの昼下がり、神保町の古書店街を歩いていて、モームを見つけた。
神保町交差点すぐ手前の山本書店の店頭を何気なく眺めると、またしても、あの紺色と緑色の2色の装丁の新潮文庫が目に飛び込んできた。
近づいてみると、“園遊会まで”だった。100円。
ぼくは新潮文庫のモームは“人間の絆”の第1巻から、“剃刀の刃”第2巻までほとんど持っている。
ないのは、この“園遊会まで”と、“アシェンデン・Ⅱ”、“怒りの器”の3冊だけである。
“アシェンデン”の第2巻は、以前、近所の古本屋で見かけたのだが、第1巻にはない“イギリス情報部員”とかなんとかいう副題が、表紙にゴシックで印刷されていたため、「不体裁だな」などと迷っているうちに売れてしまった。
創元推理文庫所収の“秘密諜報部員 ashenden”を持っていたのも、躊躇した一因だった。その後、二度とお目にかかれなくなってしまった。惜しいことをした。
残りの2冊、“園遊会まで”、“怒りの器”は、これまで一度も見たことがない。
本屋の書棚に並んだ文庫本の背中に「園遊会」という文字を見つけて、「やった!!」と思って引っ張り出してみると、マンスフィールドの“園遊会”だったという経験をしたことも何度かある。
幸い、十数年前に、ちくま文庫から“カジュアリーナ・トリー”が出て、“園遊会まで”に収録された短編を読むことはできるようになり、同じく“アー・キン”が出て“怒りの器”なども読むことはできる。
問題は、ぼくの本棚に並ぶモームものの見栄えだけである。
山本書店店頭の100円均一の棚に置かれていたモーム“園遊会まで”は、今年5月の、“サマセット・モーム週間”を締めくくるための、ぼくへのプレゼントということだろう。
* 写真は、サマセット・モーム/田中西二郎訳“園遊会まで”(新潮文庫、昭和47年、14刷)の表紙カバー。