1学期の中ごろ、神保町を歩いていて、書泉ブックマートの店頭に小津安二郎の映画DVDが3枚セットになって999円で売られているのを見つけ、3セット(計9本)買ってきた。
小津安二郎監督の名前は、大学時代に家族法の先生が授業中にしばしば口にすることで知った。
その先生は、戦後の民法改正、つまり個人主義的な方向への家族法改正を推進した側の先生だったが、その後、故郷に残った母上を不慮の事故で亡くされ、自分の母親一人守ることができないで何の家族法改正だったのかという自責の念に駆られたというエピソードをもつ方である。
個人主義家族と親族協同体的家族との間で揺れていた先生にとっては、戦前、戦後初期の家族を描き続けた小津安二郎は共感するところが多かったのだろう。
ところが、ぼくが大学生だった昭和44、5年(1969~70年)頃は、小津安二郎はすでに過去の人になっており、しかも今ほど高く再評価されていなかったので(もちろんDVDはおろかVHSすらなかった時代である)、小津の映画を見る機会はほとんどなかった。
先生がせっかく家族法を分かりやすく説明するために小津映画の例を持ち出すたびに、聞いている学生の側はかえって意味が分からなくなるのだった。
因果応報というべく、今度はぼくが教師の立場でこの悲哀を味わっている。
“卒業”(婚姻の成立時期の例)、“ひまわり”(失踪宣告の取消と重婚の事例)、“クレーマー・クレーマー”(離婚後の共同親権)などを持ち出すたびに、平成生まれの(もう平成生まれが大学3年生である!)の学生たちは、なんで先生はこんな古い映画の話をして、しかもヘンリー・マンシーニの“ひまわりのテーマ”を教室で口ずさんだりまでするのかと訝しそうな顔をするのである。
長くなったので、本題は次回に・・・。
* 小津安二郎“戸田家の兄妹”(日本名作映画集17[Cosmo Contents発売])のケース
2010/8/27