通勤の際は、飯田橋駅を降りてから、飯田橋“アイ・ガーデン・エアー”の並木道を歩くのだが、たまに新目白通りを靖国神社に向かって歩くこともある。
その道端に商店街か教育委員会が建てた“飯田橋 歴史散歩道”という標識がいくつか立っている。
今日は、それを全部写真に撮ってきた。
まずは飯田橋駅を出てすぐの東京区政会館(会館の中では何をしているのか?)前の石碑。
「発祥記念碑 明治15年 有栖川宮熾仁親王を総裁に この地に皇典講究所を創設
同所を母体に山田顕義所長のもと
明治22年 日本法律学校(現 日本大学)
明治23年 國學院(現 國學院大學) を開設す」
と記されている。
この場所には、ぼくの若いころは日本医科大学病院の古い建物があった。投資の失敗か何かで内紛があって(とニュースでやっていたように記憶する)、病院はどこかに移転してしまった。
日大、國學院大発祥記念碑の隣りには、その「日本医科大学付属第一病院記念碑」も建っている。
この石碑には往時の同病院の正面玄関を描いたエッチングも飾ってある。そこには「日本医科大学付属第一医院」と書かれた看板が掲げてあるのが見て取れるのだが。↓
しばらく歩くと、再び「日本大学 開校の地」の縦長の案内があり、さらに少し行ったところに「國學院大學開校の地」という同じ形の標識が立っている。
実は、「日大開校の地」と「國學院開校の地」の間に、なぜか、「東京府立第四中学校開校の地」という石標も立っている。その昔この辺りには、ずいぶんごちゃごちゃと学校が乱立していたようだ。
近所には「飯田橋むかしむかし 日清、日露戦争の頃」という案内板があるが、細かくて肉眼でも読みにくい。写真では内容は分からないだろう。
2010/12/7 撮影