川本三郎「ミステリと東京」(平凡社、2007年)を読んだ。
ミステリー小説のたんなる舞台や背景としての東京ではなく、その小説のテーマにもなっている「東京」に着目して読み解く評論集である。「ミステリー小説に現われた昭和の東京」といった内容だが、時系列にはなっていない。
興味のある作家と作品だけをつまみ食いで読んだ。取り上げられる小説でぼくが読んだのは宮部みゆき「理由」と、広瀬正「マイナス・ゼロ」、松本清張「張込み」、その他数冊しかなかった。
島田荘司「火刑都市」には、明治初年から22年頃の東京を、たんなる江戸の延長ではなく、しかし病める近代東京でもない幸せな時間だったとする小木新造「東亰時代」(NHK出版、1980年)論に依拠した記述があるらしい。明治 6年九州生れのぼくの祖父は、戦後になってからも東京を「東亰」(とうけい)と言っており、語頭にアクセントを置いて発音していたと亡母から聞いた。高校の同級生に小木さんの縁者がいたので、「東亰時代」が出版された時にはその旧友を思い出した。
宮部みゆき「理由」は、深川生まれで「下町っ子」を自称する宮部が描く下町小説。川本さんは東京は東東京が中心の「水の都」だったというが、宮部は江東を「ゼロメートル地帯」という。ぼくの印象でも下町は大雨のたびに浸水が報道される浸水地帯だった。
桐野夏生「水の眠り 灰の夢」は、所謂「草加次郎」事件を下敷きにしている。昭和38年頃から始まった連続爆破事件の犯人が自らを「草加次郎」と称したのだが、中学生だったぼくは、いつどこで電車の網棚に爆弾が仕掛けてあるかわからないという恐怖心を抱いた覚えがある。草加次郎は鰐淵晴子にも脅迫状を送ったという(105頁)。
昭和30年代の千駄ヶ谷は「旅館」(ラブホテル)の並ぶ町だったと川本さんは書くが(110頁)、ぼくが信濃町の出版社に勤めていた昭和50年代になっても、千駄ヶ谷駅北口と新宿御苑の間にはその手の「旅館」がまだ残っていた。湯島辺りのその手の旅館とは違って、千駄ヶ谷の旅館は本当に「ご商談」をする人でも利用できそうな隠れ家風の旅館だった。川本さんは、「出張校正」という言葉は「今や死語か」と書いている(98頁)。出張校正が死語とは・・・。1974年から9年間、毎月末の数日間を板橋小豆沢の凸版印刷で過ごしたあの日々を何といえばよいのか。
広瀬正「マイナス・ゼロ」は、わがブログ「豆豆先生の研究室」の出発点となった小説である。
本書に出てくるタイム・マシンのあった場所は、何と、ぼくが生まれた世田谷豪徳寺(玉電山下)の隣りの梅ヶ丘なのである。ぼくは梅ヶ丘駅北口の根津山(根津家の所有する山だったのでそう呼ばれていたのだろう。戦争中は斎藤茂吉の青山脳病院が疎開していたと北杜夫のエッセイに書いてあった。最近は羽根木公園というらしい)にしょっちゅう遊びに行ったが、おっちょこちょいだったぼくがそこでこのタイム・マシンに乗ってしまった可能性は否定できない。
昭和20年5月25日に東京山の手を襲った空襲のことも出てくる(127頁)。世田谷も被災したこの空襲の思い出は父母からよく聞かされた。当時わが一家が住んでいた松原の家は幸い被害を免れたが、四谷軒牧場の近くに撃墜されたB29が落ちたのを見に行ったという。パイロットはまだあどけなさの残る少年のような死に顔だったと母が言っていた。1945年5月に世田谷の松原(赤堤)で生涯を終えたアメリカ青年がいたのである。
川本さんは荷風を「ノスタルジーの作家」と性格づけていたが、本書では、この小説も広瀬の東京へのスタルジーが強く表れているといい(134頁)、タイムマシンはSF小説というより「ノスタルジー」小説であると結んでいる(139頁)。ぼくもそう思う。タイムマシンだけでなく、「時をかける少女」や「謎の転校生」なども、ノスタルジックなSFである。
ぼくのこのブログは「気ままな “nostalgic journey” です」とサブタイトルをつけてあるが、玉電山下や軽井沢の思い出を書いたものだけでなく、読んだ本や見た映画の感想を書いたものも、いつの間にか失われた過去を懐かしむ気持ちがにじみ出てしまう。
小杉健治「土俵を走る殺意」は、東京オリンピックの頃に集団就職で秋田県から上京してきた3人の若者が主人公。彼らが休日に見に行った「成人映画」(後に「ピンク映画」と呼ばれるようになる)の第1作が香取環(懐かしい!)主演の「肉体市場」(1962年)だったと川本さんの薀蓄が聞ける。主人公の一人は相撲取りになるのだが、折から秋場所の最中、大学卒の力士や相撲名門高校出身の力士がずらりと並ぶ番付は隔世の感がある。中卒で入門したという熱海富士でも応援するか。※と書いたら、念力が通じたのか、この日(9月14日)の取組で熱海富士は翔猿に快勝した。
小杉「灰の男」は、向島生まれの小杉による東京大空襲の被害者に対する鎮魂歌。
久生十蘭「魔都」は戦前(1937年)の作品。「魔都」東京の地下は、張りめぐらされた地下水道の「迷路」(ラビリンス)になっている(294頁)。東京の下水道は、明治か大正の時代に、東京でコレラか赤痢が流行した際に皇居を感染から守るために整備されたと、学生時代に柴田徳衛さんの「現代都市論」で聞いた。地下の迷宮といえば森達也「千代田区一番一号のラビリンス 」(現代書館)を思い出す。あれも久生を参考にしたのだろうか。
紀田順一郎「古本屋探偵の事件簿」は神田神保町が舞台。ガラス張りのエレベーターの古書センターのビニ本屋(!)の向かいに開業した小さな古書店主が主人公(355頁~)。紀田には「日記の虚実」という著書もあるらしい。荷風「断腸亭日乗」の虚実も出てくるのだろうか。※出てくる!
逢坂剛は「カディスの赤い星」だけ読んだ。ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」から始まって、斉藤孝「スペイン戦争」(中公新書)、石垣綾子「オリーブの墓標」(立風書房)など、「スペイン内戦」はかつてのぼくの関心領域の一つだった。当時5歳だった息子がこの本の背表紙を見て「カディスの赤い星」とたどたどしい文字でなぞって書いたので、とくに印象に残っている。
逢坂は駿河台下にあった中大法学部の卒業で、神保町に近いので博報堂に入社したそうだ(375頁)。文化学院、駿台予備校、山の上ホテル、カザルスホール(かつては主婦の友社!)から、天ぷらの「いもや」(小豆島のかどやごま油の揚がる匂いが店内に漂っていた)まで、懐かしい場所が出てくる。ぼくは一度だけ神保町のどこかの古書店に入っていく逢坂の姿を見かけたことがある。散歩日和の昼下がりだった。
その他いくつか。
藤原伊織の中で、新宿紀伊國屋書店の改築の話が出てくる(346頁)。東京オリンピックの頃だったらしい。ぼくは改築前の建物が取り壊されて更地になっていた時にその前を通ったことがあった。土の色が妙に濃いこげ茶色だったのが印象的だった。改築後の紀伊國屋の2階のレコード店から聞こえてくる音楽のエピソードは川本さんの他の本でも読んだが、ぼくは紀伊國屋というと、エスカレーターで2階に上がるといつもリンガフォンが宣伝のために流していた英会話テープの音声が聞こえてきたのを思い出す。リンガフォンは今でもあるのだろうか。
藤村正太「孤独なアスファルト」は、東京オリンピック前夜の吉祥寺、井の頭公園が出てくるらしい。
髙村薫「照柿」の舞台は拝島、福生あたりである(410頁)。昨年来旧交を温めている高校時代の友人の本拠地が福生なので、二度訪問して横田基地周辺から東福生まで歩いたので多少の地理勘がある。
中井英夫には「黒鳥館戦後日記 西荻窪の青春」という著書があるらしい(424頁)。「西荻窪の青春」というサブタイトルは胸に刺さる。
本書のどこかに、典厩五郎なる著者の「名探偵大杉栄の正月」というのが挙がっていた。山田風太郎の明治伝奇物のような内容だろうか。ちょっと興味をひかれたが読む時間はないだろう。
結びは松本清張で。
松本清張の原作を映画化した「張込み」に関して、石炭ストーブの話題が出てくる(446頁)。川本さんの杉並第一小学校は石炭ストーブだったと書いているが、ぼくも小学校、中学校ともに石炭ストーブだった。この辺は川本さんと「同時代」を生きている。ちなみに映画の「張込み」のロケ地は祖父が生まれた佐賀だった。
松本は上京して最初に練馬区の関町に住み、やがて上石神井に転居したので、西武線沿線の練馬区や豊島区がよく出てくるという(449頁)。そう言えば、石神井公園内にある練馬区郷土館(?)に地元ゆかりの有名人として松本清張の名が出ていた。
松本の「歪んだ複写」には調布の深大寺が出てくるらしい。「波の塔」で検事が人妻と密会する場所も深大寺だそうだ(466頁)。軽井沢在住作家たちが作品の中で密会場所として小瀬温泉を選ぶようなものか。映画化された「波の塔」には深大寺ロケのシーンが登場するという。深大寺周辺もその後宅地化が進み、武蔵野の面影はかなり失われてしまった。あそこの蕎麦屋さんの姪がゼミ生にいた。
今回も川本さんの読書量に圧倒された。
しかし、やっぱりぼくは西東京(旧田無市には非ず)が舞台でないと気持ちが入らないようだ。
2024年9月14日 記