豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“雑音ラヂオのオールディーズ”

2006年09月09日 | テレビ&ポップス
 
 ぼくがもっとも頻繁に見ていたサイトに、“雑音ラヂオのオールディーズ”というのがある。
 1950年代から70年代(もっと最近の曲もあったかも)にかけての懐かしいポップスが聴けるサイトであった。「雑音ラヂオ」というくらいだから、おそらく古くからの熱心なポップス・ファンがラジオの音楽番組から録音しつづけてきたものを掲載しているのだろうと思っていた。世の中にはずいぶん熱心な人もいるのだなと感心しながら聴いていた。
 はじめて“雑音ラヂオ”に出会ったのは、2、3年前に、ホンダの軽自動車ライフのCMに竹内まりあの「ジョニー・エンジェル」が使われたときである。久しぶりにあの曲を聴いて、シェリー・フェブレーのもとの歌が聴きたくなり、検索したところこのサイトにめぐり合ったのである。当時は確か7000番台の訪問者だったように記憶する。
 とにかく収録された曲数の多いことにびっりした。「ジョニー・エンジェル」だけでなく、手元にレコードもテープも残っていないけれど、懐かしくて聴きたかった曲がほとんど入っていたのである。それ以来、“雑音ラヂオのオールディーズ”はぼくのジューク・ボックスになった。本を読んだり、原稿を書いたりするときはいつもBGM代わりにこれを聴いていた。
 やがてクルマの中でも聴きたくなって、気に入った曲をCDにダビングしようとしたが、ガードがかかっているらしく、できなかった。あれこれ試してみると、パソコンをわが家のコンポに接続すればカセットに録音できることが分かった。当時乗っていたポロにはカセットと後付けでCDチェンジゃーしか付いていなかった。早速ぼくは時間をかけて、“マイ・ベスト・アルバム”を作成した。
 懐かしのオールデイズものはカセット、CDが結構売られているが、自分にぴったりの選曲というのにはまったく出会わない。そればかりか、そういったアルバムの中には、たいてい自分の嫌いな曲が1曲や2曲入っていることも多いのであえて買う気になれないでいたところだった。
 ぼくの作ったカセットは、A面①ジョニー・エンジェル(シェリー・フェブレー)、②マイ・ホームタウン(ポール・アンカ)、③素敵な16歳(ニール・セダカ)、④素敵なタイミング(ジミー・ジョーンズ)、⑤ポケット・トランジスター(アルマ・コーガン)、⑥可愛いベイビー(コニー・フランシス)、⑦大人になりたい(〃)、⑧思い出の冬休み(〃)、⑨ベイビー・フェイス(ブライアン・ハイランド)、⑩ビキニのお嬢さん(〃)、⑪パイナップル・プリンセス(アネッツ)、⑫ルイジアナ・ママ(ジーン・ピットニー)、⑬サマー・ホリデイ(クリフ・リチャード)、B面①アンチェイント・メロディ(リアン・ライムス)、この胸のときめきを(ダスティ・スプリングフィールド)、②愛しのラナ(ヴェルベッツ)、③シェリー(フォー・シーズンズ)、④悲しき16歳(ケーシー・リンデン)、⑤けんかでデート(ポールとポーラ)、⑥すてきな新学期(〃)、⑦悲しき少年兵(ジョニー・ディアフィールド)、⑧悲しき足音(スティーブ・ローレンス)、⑨悲しき片想い(ヘレン・シャピロ)、⑩涙の口づけ(ブライアン・ハイランド)、⑪プリーズ・ミスターポストマン(マーベレイツ)、⑫悲しき雨音(カスケーズ)、⑬この世の果てまで(スキーター・デイビス)の26曲である。
 このほかにも、オゥ・プリティ・ウーマン、ダウン・タウン、太陽を探して、悲しき街角、悲しき天使、ワン・ボーイ、トゥ・ヤング、ヤング・ワールド、ターミー、ダニー・ボーイ、アイドルを探せ!、夢見る想い、などしょっちゅう聴いたけれど、録音しなかったものもある。
 録音した曲も全部もとの歌で記憶に残っているものばかりではない。ぼくたちの時代には、“ザ・ヒットパレード”で日本人の歌手が日本語で歌ってヒットした曲も少なくない。ぼくの一番最初の記憶にあるのも、1962年、中学1年生のときに、西荻窪駅北口の映画通り(当時は映画館が3軒並んでいた)入口の電柱につけられた商店街のスピーカーから流れていた中尾ミエの「可愛いベイビー」だったし、「ルイジアナ・ママ」は飯田久彦である。彼は豪徳寺の少し下高井戸寄り、まさに紅梅キャラメル本社の近くに住んでいて、ぼくの従兄と松沢中学校の同級生だった。他にも、弘田三枝子、田代みどり、田辺靖雄、尾藤イサオらの声が思い浮かんでしまう曲も少なくない。
 ところで、思い出すきっかけとなった竹内まりあのジョニー・エンジェルも入ったオールデイズのアルバム“ロングタイム・フェイバリット”は、あまりにも「竹内節」が強くて、残念ながらぼくの記憶のなかのオールデイズを壊してしまいそうなので1回しか聴かなかった。竹内まりあは「不思議なピーチパイ」以来ぼくの好きな歌手ではあるのだが・・。ちなみに彼女はぼくと同じ3月20日生れのはずである。ぼくより何歳も若いけれど。
 残念なことに、このカセットはもう手元にない。曲名を手書きした箱だけが残っている。実は、2年前の今頃ぼくは事故を起こし、(事故原因はいまだに納得していないのだが、とにかく)ポロは廃車としてしまったのである。買い替えたクルマ会社の人が廃車処理をしてくれたので、トランク内の荷物やこのカセットを回収するように頼んだのだが、彼はカセットを忘れてしまった。あのカセットは、修理されたポロと一緒に輸出されて、今頃は中東かロシアで聴かれているのだろうか。
 その後も“雑音ラヂオ”は成長を続け、曲数はどんどん増え、訪問者数も50万件近くなっていたと思うが、ここ半年くらい前から、聴ける曲は10曲くらいに制限され、好きな曲をいつでも聴けるというわけには行かなくなってしまった。きっと著作権の関係だと思う。当初ぼくはてっきりマニアが録音して集めたものを流していると思っていたのだが、音質がよいところを見ると、そうではなかったのかも知れない。最近はほとんどアクセスしていないが、どうなっているのだろうか。
 懐かしい曲たちは、ふたたび思い出のなかだけに封印されてしまった。

* 写真は、コニー・フランシスの“グレイテスト・ヒッツ”のジャケット(MGMレコードMM2057)。ジャケットなどに発売年月が記載してないので、いつ頃のレコードかは不明だが、POLYDOR K.K.JAPAN KI 7309 とあるのは1973年9月発売という意味だろうか・・。1980年頃までは、まだレコード屋に注文すれば取り寄せてくれていたと記憶する。
 なお、ジャケットの解説(鈴木道子氏)によると、1959年の「カラーに口紅」が彼女の日本でのヒット第1号で、1961年に映画「ボーイ・ハント」の主題歌(日本語版も吹き込んだそうだ。この曲も切ない感じが大好きだった)、「夢のデイト」、翌1962年3月に「大人になりたい」の日本語盤をヒットさせている。「大人になりたい」のB面が「可愛いベイビー」だったらしい(! “5へぇー”くらい)。いずれにしても、ぼくの中学1年生のときの記憶と年代的にぴったり合致している。

(2006年 9月 9日)

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