豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“拳銃無宿”

2008年02月25日 | 映画
 
 きょうは“拳銃無宿”。

 ようやく、芦原伸『西部劇を読む事典』に紹介されている西部劇映画を年代順に観ていこうという当初の予定に従った選択になった。
 なお、「年代順」というのは、製作年ではなく、舞台背景となった時代の順番である。そして、同書がまっ先に取りあげていたのが、西部開拓初期のクェーカー教徒(作中では「フレンド派」と言っていた)の生活と信条が描かれているという“拳銃無宿”であり、そのつぎが“真昼の決闘”である(32~33頁)。

 まず、日本の題名がとんでもない。確かに「宿なし」のガンマンが、ケガして倒れていたところを助けてくれた敬虔なクェーカー教徒の農夫家族の娘に恋をし、その感化を受けて、拳銃を捨てて農夫になるまでの物語ではあるが、原題は“Angel and Badman”である。
 原題も「ちょっと・・」といった感はあるが、それにしても“拳銃無宿”はあまりにも内容とかけ離れている。“拳銃無宿”と聞けば、団塊のぼくらには、まずスティーブ・マックィーンの賞金稼ぎが思い浮かんでしまう。
 
 公開当時の日本は、そんなに西部劇全盛の時代だったのだろうか。それも、こんな邦題の西部劇が好まれる風潮があったのだろうか。日本公開は1949年、ぼくが生まれる前の年である。
 ただし、キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』の解説によれば、この映画は、ちゃんと「ジョン・ウェインが・・農民の娘(ゲイル・ラッセル)の安らかな心に魅せられるロマンスを描」いたもので、「純情派ゲイル・ラッセルの日本での人気を高めた作品」と書かれているから(125頁)、1949年の日本国民(映画ファン)は正しく観ていたわけである。

 二人が、農場のはずれに花を摘みに行き、草原に寝そべって語り合うシーンなどは、まるで“エデンの東”のジェームス・ディーンとジュリー・ハリスである。
 アメリカ人特有の楽天主義には毎回参ってしまうが、ぼくの嫌いな映画ではなかった。

 それよりも、きょう驚いたことは、数か月ぶりに近所の貸ビデオ屋に行って、西部劇映画ではどんな物があるのか探したところ、そもそも「西部劇コーナー」がないばかりか、店内をくまなく歩き回っても、西部劇のDVDは“帰らざる河”などわずか数点しかなかったことである。
 2003年の時点で、芦原氏も西部劇「ビデオ」の衰退を語っているが、さらに状況は悪化している。貸ビデオ(DVD?)屋において、西部劇映画はおそらくバッファロー以上に絶滅寸前である。
 ひょっとすると、ぼくみたいに500円DVDで済ませている人間のせいかも知れないが・・・。

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[赤11] 拳銃無宿”のケース。ジョン・ウエイン主演、1947年。
 

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