小津安二郎“早春”を見た。
ぼくには、“東京暮色”の有馬稲子の演技と、“早春”の岸恵子の演技との違いは分からなかった。どちらも等しく、ぼくの嫌いなタイプの女を、それぞれ、それらしく演じていた。高橋治がいうように、岸が原節子に代わりうる女優だったのに対して、有馬が大根というのは(玄人の世界では)一般的な評価なのだろうか。
ところで、今日、amazonで注文しておいた浜野保樹『小津安二郎』(岩波新書)が届いた。徳島の古本屋だったため4、5日待たされた。値段は1円!! 送料は250倍の250円。さっそく読んだ。
貴田庄『監督小津安二郎 40のQ&A』(朝日文庫)によると、浜野の本は、高橋治から自著『絢爛たる影絵』の盗用であると指摘されて絶版になったらしい(貴田・266頁)。確かに、高橋の本に書いてあるのと同じエピソードは何か所も出てくるが、ぼくには、それらのエピソードが高橋の創見ないしは独自取材の結果なのか、それとも、これまでの小津研究の成果として映画評論界の共有財産なのか判断できない。
ただ、両書だけを読み比べた限りでは、ぼくには盗作とか盗用とは思えなかった。
両者は、モチーフも違えば、構成も違う。小津を見る視角も違えば、自説のために援用するエピソードも違う。
高橋の本は、小津を描きつつ、実は高橋自身を語っているところが結構ある。高橋に興味がない読者にとっては読まされていて煩わしいところがある。岸恵子、有馬稲子に対する評価にしても高橋の評価にすぎない。
これに対して、浜野の本には浜野は出てこない(後書きにどうでもいいような浜野の家族の話があるくらいだ)。谷崎潤一郎『文章読本』、志賀直哉『暗夜行路』の影響の指摘、「小市民映画」という基軸からの評価などは高橋にはなかった。
岩波新書は学術書ではないから引用にいちいち注は付いていない。高橋以外の誰かがすでに指摘したことなのかは分からない。そのうち、これもamazonで買った佐藤忠男『完本・小津安二郎の芸術』(朝日文庫、絶版)を読んで確認しておこう。
浜野の本には、松竹ヌーベルバーグの連中が若いころはさんざん小津をこきおろしておきながら、年をとったら「やっぱり小津はすごかった」式のことを言い出すようになったことを揶揄するところがある(115頁)。
ぼくは高橋治という人が「ヌーベルバーグ」だったかどうかは知らないが、その辺がカチンと来たのではないか。
それとも、浜野の本が、“戸田家の兄妹”は小津自身の家庭における母と兄嫁との確執が背景にあり、戸田家の佐分利信(次男)の斎藤達雄(長男)らに対する怒りは、小津自身の長男やその嫁に対する怒りだなどと書いてあることが、小津家に遠慮がある高橋の怒りを買ったのだろうか。
高橋の本は、この本は誰も傷つけないといって取材している。そして有馬稲子以外は傷つけていない。
ちなみに、両書には共通点もある。それは、両書ともに“風の中の牝雞”を“風の中の牝鶏”と誤記していることである。
ぼくは“風の中の牝雞”に言及するたびに、IMEパッドの≪手書き入力≫を呼び出して、「雞」の文字をマウスでなぞるのに閉口しているのだが、お二人とも平然と「牝鶏」で済ませている。これでもいいのなら、「めすどり」と入力すればいいので、ぼくも助かるのだが。
盗用か偶然の一致かでいえば、前の書き込みで、ぼくは、高橋治『幻のシンガポール』を読んで、“風の中の牝雞”で田中絹代が階段から突き落とされるシーンは、“風と共に去りぬ”のビビアン・リーが階段から突き落とされるシーンからヒントを得たのではないかと思ったと書いた。
ところが、浜野がまったく同じ指摘をしていることを発見した(76頁)。題名の中の「風」の共通性の指摘まで同じである。盗用だと言われたら、反論は難しい。
ただし、ぼくは階段から転げ落ちてきたのが田中絹代本人であるらしいことを、DVDをコマ落としで見直して「発見」したつもりである(田中絹代のズロース!)。
小津も“去りぬ”のフィルムを調べて、ビビアン・リー「ご本尊」が落ちてきたことに感嘆していたという。そうであれば、“牝雞”で田中絹代ご本人を転がり落とす演出もありうるだろう、というのは、ぼくの「オリジナル」な考察である。
それよりも奇異なのが、高橋の『絢爛たる影絵』が最近になって岩波現代文庫から再刊になったことである。かつて盗用騒ぎになって自社の岩波新書が絶版になったというのに、その因縁の本(しかももともとは因縁浅からぬ文春文庫の本)を岩波書店が再刊するというのは、一体どういう背景があったのだろうか。
気になったので、書店で立ち読みしたが、高橋のきわめて短く、かつ大した内容のない文庫版あとがきが加わったほかは(サイデンステッカーの解説まで)文春文庫と同じだったので、買わないでおいた。
いずれにしても、門外漢のぼくにとっては、高橋治『絢爛たる影絵』も、浜野保樹『小津安二郎』も、それぞれに面白かった。
* 浜野保樹『小津安二郎』(岩波新書、1993年)
2010/9/17