豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

「帰って来たヨッパライ」異聞

2023年09月24日 | テレビ&ポップス
 
 もう1ヶ月くらい前のことになるだろうか、NHKラジオ深夜便に元ニッポン放送アナウンサーの斉藤安弘が出演していた。聞き手のNHKアナは徳田章だったと記憶する。

 その中で、最初は関西のラジオでヒットしていたフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」を関東のラジオ局で初めて流したのはニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」だったと斉藤が語っていた。
 そのヒットに気を良くして、その後もザリガニ―ズの「海は恋してる」や、自分たち(カメ&アンコ―)の「ケメ子の歌」などコミカル・ソング路線がつづいたという。そんなことがあったか・・・。
 ぼくは、「オールナイト・ニッポン」のDJでは、今仁哲夫(春日部のテッちゃん!)の語り口としょうもない内容が好きだった。
 斉藤の話では、他局の深夜放送は自動車会社がスポンサーだったので、ヨッパライ運転で死んでしまった男の歌を流すことができなかったと言っていた。

       
 それで思い出したが、TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のスポンサーは、確かに日産自動車だった。
 誰のコピーか知らないが、「最果ての駅 乗り遅れた最終列車を追って 隣りの駅まで送ってくれた 見知らぬ彼 サファリ・ブラウンに輝くスカイライン」というCMを今でも覚えている。
 スカイラインは、ケンとメリーもそうだったが、なぜか北海道のイメージで売っていた。稚内あたりの駅で、そんな男女のドラマがあったかもしれない。
 上の写真は家族旅行で北海道の美瑛を訪ねた際に撮ったケンとメリーの木。映っている息子の小ささからみて1995年前後と思う。

 文化放送の深夜放送「セイ・ヤング」のスポンサーに自動車会社が入っていたかどうかは、記憶にない。
 「セイ・ヤング」で覚えていることは、みのもんたが本名の御法川(みのりかわ)何某という本名でDJをやっていたこと、DJの落合恵子が「レモンちゃん」とかいう愛称で呼ばれていたこと(ぼくは呼ばなかった。ぼくのご贔屓は午前3時からの第2部の馬場こずえと滝良子だった)、同番組の田名網(たなあみ)ディレクターという人が、「日本史の傾向と対策」(旺文社)の筆者として当時の受験界で有名だった田名網宏先生(都立大教授!)の息子だったこと(落合が番組でそう言っているのを聞いた)くらいか。

 そう言えば、ゆうべ(9月23日午前0時すぎ)のNHKラジオ深夜便の落合恵子のコーナーで、「白い渚のブルース」がアッカ―・ビルクのクラリネットで流れていた。落合は、自分の番組をもてたら、この曲をオープニング曲にすると言っていた。
 「白い渚のブルース」はぼくも好きだな曲だが、ぼくはビリー・ボーンのLP盤できいた。その昔、ビリー・ボーンの「真珠貝の歌」がオープニングに流れるリクエスト番組が、たしか土曜日か日曜日の夕方に、NHKかラジオ関東でやっていた。長崎節か高崎一郎がDJだった(と思う)。

 2023年9月24日 記