豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

シートン「シートン動物記・1」

2025年01月10日 | 本と雑誌
 
 今年になって一番最初に読んだ本は、実は井伏鱒二「本日休診」ではなく、「シートン動物記」だった。アーネスト=トムソン・シートン/阿部知二訳「シートン動物記・1」(講談社青い鳥文庫、1985年)を散歩の道すがら通りかかった駅前踏切脇の古本屋で見かけて買ってきた。店頭の100~200円コーナーに置いてあったが、天地、小口の磨き処理は完璧で、本文ページに読み癖もなく、表紙カバーの汚れや皺も一つもなく新品同様だった。Amazon なら「非常に良い」だろう。
 別出版社から出た3種類の「シートン動物記」が並んでいたが、若いころから阿部知二や中野好夫の翻訳で英米の小説に馴染んできたので、阿部訳のものを選んだ。挿し絵も子供っぽくなくてよかった。※シートンの名前 “Thompson” の日本語表記は「トムソン」だろうが、講談社青い鳥文庫版以外のほとんどが「トンプソン」と表記している。

 小学校高学年になった孫に読んでもらいたいと思って買ったのだが、ぼくは「シートン動物記」には苦い思い出がある。
 小学生だったぼくが本を読まないことを心配した父親が、読んでみなさいと言って「シートン動物記」をぼくに渡したのである。自分が子供の頃に読んで面白かったと言うのだが、渡された本は父親が子どもだった大正時代に刊行されたかび臭い「動物記」だった。ーーと記憶していたが、調べてみると「シートン動物記」の本邦初訳は1937年だから刊行から20年くらいしかたっていなかったことが判明した。父親の子供時代の本ではなかったようだが、ネット上の写真を見ると表紙や函の装幀はいかにも古めかしい。もともと本嫌いだったぼくは、読む以前にその古色蒼然とした本自体に拒否反応を起こしてしまい、結局「シートン動物記」は読まなかった。それ以来「シートン動物記」と聞いただけでかび臭さの記憶が蘇ってくるようになってしまった。
 しかし、一般には「シートン動物記」は小学生向けの推薦図書に必ず入っているし、この本を自身の思い出の本として紹介する人は少なくない。しかも、ここ数年クマやイノシシが人里に出没して農作物や人身の被害が発生する事件が頻発しており、人間と野生動物の関係は現代的なテーマでもある。1860年代の北アメリアが舞台だとしても動物文学の古典として読んでおいて損はないだろう。
 ただ、孫が小学2年生の時に、夏休みの推薦図書にあがっていた「山の頂上の木のてっぺん」(書名は不詳)だったかという本をプレゼントしたところ、主人公の少年が可愛がってきた飼い犬が死んでしまうというストーリーだったため、心優しい孫の心にトラウマを残してしまったらしい。「シートン動物記」の代表作である「オオカミ王ロボ」も、ラストはオオカミ王が死んでしまう話である。心配だったので、まずぼくが読んでみてから渡すことにした。そして読んだところ、「山の頂上~」ほど感傷的ではなかったので大丈夫だろうと判断した。

 先日の新聞で、1年間に1冊も本を読まない子が60%を超えたという記事を見た。元出版社員で、元教師であるぼくには信じがたい話だが、そういう現実なのだろう。せめて子どもや孫には本を読んでもらいたい。しかし、子どもを本好きにするのは難しい。
 子ども時代のぼく自身が漫画は大いに読んだ(?)が、活字(だけ)の本にはなかなかなじめなかった。親に渡されたのが古い「シートン動物記」だったり、いまだに忘れられないのだが、「シートン」に前後して母親から「ながいながいペンギンのお話」というのと「スケートをはいた馬」というのを与えられた。しかしこの2冊も、当時のぼくの琴線にふれることはなかった。毎月購読していた雑誌「少年」や、創刊間もない「週刊少年サンデー」、貸本屋の漫画読み物「褐色の弾丸 房錦物語」などに熱中する「子ども」だったのだから。
 子ども時代の読書ということでは、親から毎年「少年朝日年鑑」という子供用の年鑑を買ってもらっていたのだが、これはちょこちょこと読んでいた。記憶にあるのは、「クロード・岡本」という当時天才少年画家と騒がれた子供のことを紹介した記事と(その後どうなったのだろうか)、(埼玉県)行田市(当時は町か村だったかも)皿尾部落の4H運動の記事である。4Hクラブ運動というのは戦後になっても因習的な農村地域を青年たちの手で民主化する運動だが、4H運動のことが小学校の教科書に出てきた際に、自慢げに「少年朝日年鑑」で知っていた知識をひけらかしたため教室内で浮いてしまった苦い思い出がある。小説の面白さを発見することはできなかったけれど、年鑑の2、3頁の記事を70歳を過ぎた今でも覚えているくらいだから、「少年朝日年鑑」は何らかのインパクトを当時のぼくに与えたのだろう。

 ぼくが小説を好きになったのは、遅まきながら中学2年の国語教科書(光村図書)に載っていた芥川の「魔術」を読んだことがきっかけだった。それ以前にも岩波少年文庫でリンドグレーン「カッレ君の冒険」、ケストナー「名探偵エミール」、ドラ・ド・ヨング「あらしの前」「あらしの後」などは読んでいたが、「魔術」のインパクトは今も鮮明に記憶にある。
 当時国語の担当だった明田川先生という女の先生が、ぼくの作文をいつも褒めてくれて、卒業の時には「東京オリンピックの思い出」という作文を卒業文集に載せてくれたりもした(ぼくの活字印刷デビュー作である)。ぼくが国語を好きになり小説を読むようになったのは、おそらくその先生の指導のおかげだったのだと思う。植物の成長と同じで、人もしかるべき時期が到来して、しかるべき本と出会うことがなければ、本を好きになることはできないのである。少なくとも、ぼくにとっての「ながいながい~」や「スケートを~」のように、子どもを本嫌いにさせるくらいなら、無理に本など読ませないほうがよい。
 「シートン動物記・1」は、孫に渡す時期を見はからうためにぼくの机の上に置いておいたところ、遊びに来た下の孫娘が見つけて「読む」と言って持って行ってしまった。テレビの医療ドラマや、動物ドクターの番組などを熱心に見る子だから興味をもって読んでくれるかもしれない。

 2025年1月9日 記

 息子たちが子どもだった時に買ってやった読み物は、息子たちの独立後もわが家に置いたままになっているが、下の息子はぼくが与えた芥川龍之介や太宰治を読んだようで、読み終わった日付だけでなく、太宰「走れメロス」(これも講談社青い鳥文庫)の裏扉には「“新樹の言葉” が良かった」と書き込みがしてあった。ぼくも読んでみたが、甲府時代の太宰の穏やかな心境が感じられるよい話だった。「井伏先生」も登場したのではなかったか。井伏文学の雰囲気も漂っていた。
 子どもだった頃の息子が「新樹の言葉」に出会ったように、孫たちも何かに出会ってくれるといいのだが、時機を待つしかない。