びわ湖浜大津駅を出発して、京阪電車で石山寺に向かう。
浜大津駅から先は路面でなく、専用軌道を走る。約20分ほどで終点の石山寺駅に到着(上の写真)。石山寺(いしやまでら)は、琵琶湖に沿って駅から約1キロメートル、10分ほどで山門に至る(下の写真)。
駅や、道沿いや、土産物店は何処もかしこもNHKテレビ「光る君へ」に便乗したポスターやのぼりばかりで、食傷ぎみ。開祖よりも、一時期寺に滞在しただけの紫式部のほうが目立つくらいである。開祖は誰だか知らないが、「弘法大師」という提灯がかかっているのを見かけたから、弘法大師なのか・・・。
このお寺も石段が多くて急なために疲れる。「石山寺」と名のるだけあって、立派な岩がそびえていた。紫式部が滞在したといわれる部屋には紫式部像が鎮座していた。この日から陳列されたとのこと(下の写真)。
石山寺でも桜の開花はまだだったが、琵琶湖の湖畔には桜らしき花が咲いていた(名前を忘れてしまった)。
石山寺駅から再び京阪電車に乗って浜大津駅に戻る。
「ふれあい街歩き」(BS-NHKテレビ)ふうに、浜大津駅から大津市内をブラブラとJR大津駅を目ざして歩く。
けっこう長く延びるアーケード商店街は半分以上が閉まっている感じの、典型的なシャッター商店街である。県庁所在地にもかかわらず、寂しいかぎりである。
途中で、明るく輝いているガラス張りの建物があったので覗いてみると、「大津曳山会館」で、二階建ての高さの大津曳山祭りの曳山が飾ってあった。案内の方がいて、からくり人形を動かして見せてくれた。中国説話らしく桃から生まれてくる「桃太郎」(?)や従者がチャイナ服を着ていた(下の写真)。
駅前の観光案内所で教えてもらった近江牛のステーキ屋も道沿いに見つけたが、残念ながら定休日だった。近江牛は明日に持ち越すことにする。
ロシアのロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世(事件当時は皇太子)が警備の警官に襲われた所謂大津事件の現場は、商店街の一角の本当に目立たない所に、小さな石碑がポツンと建っているだけだった。襲撃事件それ自体よりは、その後の犯人の裁判が重要なのだから仕方ないことか。高知に行った折に中江兆民の生誕の地を訪ねたが、その石碑も街角の民家の軒先にひっそりと建っていた。
JR大津駅前の広場では「平和憲法を守ろう」というビラを配っていて、演説の合い間にオカリナで「アヴェ・マリア」などを演奏していた。なかなか上手だった。
大津駅からホテルのシャトル・バスに乗って、今日の宿泊先の大津プリンス・ホテルに到着。
こうして、彦根への旅、第1日は終了。
2024年3月22日 記