きょう、10月10日は東京オリンピックの開会式である。
土曜日で、午前中は学校があり(4時間目は体育で、走り高跳びの測定をやっていた)、授業が終わると飛んで帰って、1時から始まる開会式をテレビで見た。
天気は快晴。前の日までは、今年と同じように秋の長雨が降りつづいていたが、10日の朝起きると雨はすっかり上がっていて、前の日までの雨が嘘のような真っ青な青空だった。
10月10日は「特異日」で、気象観測が始まって以来雨の日は数日しかなかったので、この日が開会式に選ばれたという。雨が降っている2020年は、よっぽど運が悪い年なのだろう。
ぼくは14歳の中学3年生で、学校の抽選にあたって、今はない千駄ヶ谷の国立競技場に先生に引率されて陸上競技を見に行った。入場料は100円だった。
国立競技場の観客席の最上段に立てられた各国の国旗が秋風になびいて、国旗掲揚ポールをバタバタ(慣用的に「バタバタ」と書くが「ビタビタ」と聞こえた)と鳴らしていた音が印象的だった。
その日の陸上は人気種目はなく(だから中学生を100円で入場させたのだろう、けっこう空席があった)、3000メートル障害の決勝と、棒高跳びの決勝があった。
3000メートル障害はベルギーのローランツが優勝し、棒高跳びは、アメリカのハンセンとドイツのラインハルトの激戦に決着がつかず、5時ころに先生に促されて帰宅したのだが、家に帰ってもまだ決着がついておらず、夜10時ころになってようやくハンセンの優勝が決まった。アメリカはこの種目オリンピック第1回から18連勝とかだった。一緒に見に行ったクラスの女の子が「ラインハルト、素敵!」とか騒いでいた。跳躍が終わるたびに、櫛で髪をとかす気障な選手だった。ロバート・レッドフォード風でいい男だったのは確かだが。
上の写真は「アサヒグラフ」の東京オリンピック増刊号(1964年11月1日発行、定価280円)。何度も読んだせいでかなり傷んでしまった。表紙は男子1500メートル決勝で、先頭を走っているのは、前のメルボルン大会で優勝したロン・クラーク選手(オーストラリア)だが、彼は東京オリンピックでは勝てなかったようだ。
水泳のアン・クリスチネ・ハグベリ選手(スウェーデン)に憧れた話は繰り返さない。ほかにも高飛び込みのエンゲル・クレーマー選手だとか、自由形のデュンケル選手とか、ブラウン管越しに恋した選手は少なくない。
閉会式の電光掲示板に浮かんだ「SAYONARA」の文字は、彼女たちとの別れの言葉だった。みんな、元気にやっているのだろうか?
冒頭の写真は「朝日ソノラマ」1964年12月号(通巻60号)。定価380円で、ソノシートが4枚もついている。「アサヒグラフ」が280円だから安くはない。数年後でも代々木の国立屋内競技場のラーメンが70円だったから、ラーメン5~6杯分になる。入場行進する日本チームの最前列は女子バレーの選手たちである。相当なプレッシャーだっただろう。
ちなみに、この「朝日ソノラマ」は「東京オリンピック特集」と銘うっているが、他にも、中国の核実験や、ソ連のフルシチョフ首相の辞任、池田勇人首相の辞任など、当時の政治情勢にかかわる報道なども載っている。東京オリンピックの直後に池田首相が辞任したなど、まったく記憶になかった。
2020年10月10日 記