豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

通勤の風景3 “トナカイ”

2008年12月06日 | 東京を歩く
 
 通勤の風景その3は、前と同じホテルの夜景。ホッベマの“田舎道”のような遠近法がはっきりした遊歩道の正面に3匹のトナカイのイルミネーションが飾ってある。

 夜景モードの際は、「必ず3脚を使用して8秒間長押ししてください」という表示が出るが、3脚など持ち歩いていないのでぶれてしまった。8秒も押さなかったかもしれない。

通勤の風景2 “クリスマス・ツリー”

2008年12月06日 | 東京を歩く
 
 通勤風景その2は、ホテルの前に飾られたクリスマス・ツリー。昨日の朝の通勤時に撮影したのだが、陽がかげっていて、あまりきれいに写らなかった。

 もともと控えめな飾りつけで、それほど派手なツリーではない。豆電球の灯る夜の方がきれいなのだが、夜はいつも背景にタクシーや送迎バスがとまっているので、興ざめである。
 

通勤の風景1 “街路樹”

2008年12月06日 | 東京を歩く

 健康のために一駅手前で電車を降りて、歩いて通勤するようになって2か月が経過した。
 時間にして約15分、歩数は2000歩程度。地下鉄を乗り継いでも7~8分はかかるので、思ったほど時間のロスにはならない。
 
 最近では、地下鉄を乗り換えることのほうが億劫になってきた。夕べのように、よほどの雨でも降らない限りは、行きも帰りも歩いている。
 
 その道すがらの風景が悪くない。街路樹のプラタナスや楓の葉が次第に色づき、やがて落ちはじめ、最近ではまったくの枯れ木になってしまう木も目立ってきた。
 地下鉄で通っていたのでは分からない、そんな季節の変化も肌で感じることができる。

 道の両側は、バブル以降の地上げで建てられたビルが多いが、最近は公共スペースの提供が義務づけられているせいか、歩道がウッドデッキになっていたり、プロムナードに気が植えられていたり、歩いていて気持ちがいい。
 通行人が少なく、路上駐車する車が少ないのもいい。

 そんな通勤路の風景を何枚か掲載することにした。

“ホンダ・ビート”

2008年12月01日 | クルマ&ミニカー
 
 ぼくがミニカーに興味をもつようになったのは、今年の10月初旬。

 その頃、“国産名車コレクション”という隔週刊のミニカーつきの雑誌があることを知った。
 バックナンバーを調べると、創刊号の“スバル360”を筆頭に、“いすゞペレット”、“マツダ・クーペ360”など、欲しいクルマが結構あった。
 しかし、ほとんどが版元品切れで手に入れることはできなかった。神田の新刊書店でも、バックナンバーは最近の数号しか在庫がない(かさばるから・・・)。

 バックナンバーの1冊(1台)に“国産名車コレクション56号”(2008.3.12号)の“ホンダ・ビート”があったが、これも版元品切れ。
 ところが、2週間ほど前に、他のミニカーを探していたら偶然“国産名車コレクション”のバックナンバーを扱っている通販の書店に出くわした。調べると、以前は版元品切れになっていたはずのこの号が、僅少ながら在庫があると書いてある! 
 あわてて申し込んだまま忘れていたところ、きょう、そいつが届いた。

 ホンダのスポーツカーの思い出は、ぼくが中学生の頃にさかのぼる。その頃、“ホンダS500”というスポーツカーが発売された。発売記念の懸賞で1台当たるというので、親の名前で応募した記憶がある。もちろん外れた。
 ひょっとすると、これが、ぼくが人生で一番最初に欲しいと思ったクルマかもしれない。

 わが家の状況では、2シーターのオープンカーなどがマイカーに選ばれる可能性はゼロである。とくに、今回の“ホンダ・ビート”の台座を見ると、(1991年)となっている。
 上の息子が11歳、下が2歳の頃である。こんな家族構成で“ホンダ・ビート”が選ばれることは考えられない。しかし、自分用にあんな小さいクルマがほしいなと思うこともある。
 それから17年が経ち、上の子は独立し、下の子も親と一緒のドライブなどにはついて来ない年齢になった。ようやく2シーターのオープンカーでも人員的には不都合ではない家族構成になってきたが、もうオープンカーでは億劫な年齢になってしまった。

 うちの近所のホンダの販売店(元はバイク屋さんか)の店頭に、いつも真っ赤な“ホンダ・ビート”が置いてある。売り物ではないのか、数年間置かれたままである。
 いつも買い物のついでに眺めていたのだが、ミニカーという選択(?)を知って、きょうからは机の前で懐かしむことになった。

 * 写真は、“国産名車コレクション”56号(2008.03.12号)についているNOREV製の“Honda Beat(1991)”。