チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

モモとの思い出の街、街の人が覚えていてくれたこと

2024年03月22日 | 自分ごと

晴、5度、54%

 香港島セントラルから長く伸びるエスカレーターがあります。私はこのエスカレーターで市場の買い物も、映画に行く時も街に出て家に帰りました。 このエスカレーターの一番上の道沿いに主人とモモと住んでいました。

 日本に帰国して八十五日でモモを亡くしました。その翌年、香港に来た時は昔の住まいの辺りに行くことが出来ませんでした。モモを飛行機に乗せた空港ですら通るのが辛かった。モモとの思い出を避けていました。今回の香港、銀行での用事がやっと終わりました。この銀行から見上げれば住んでいた街です。私のことをよく知る主人が、エスカレーターで上へ上へと連れて行ってくれました。

  私が歩いている先が住んでいたアパートです。この歩道橋を毎日モモと歩きました。抱いてエスカレーターに乗っていましたが、8歳のある日、急にモモは自分でエスカレータに乗りました。そんなことを思い出します。「この角によくおしっこしていたなぁ。」主人が横にいてくれたおかげで、やっとこの街に帰ってこれました。

 一回り街を歩きました。不動産屋のおばさん、店から出て来てくれて「しばらく。」とハグします。クリーニング屋さんのおねさん、「しばらく、どうしてたの?」とカウンターの向こうから手を振ってくれます。修理によくうちに来てくれていたおじさんとも挨拶。街の人が私を覚えていてくれました。

 帰りには持ち帰りたいものを買いに市場へ足を向けました。 開発が進み市場はいずれビルに入ります。今その工事の最中です。「陳皮」を買っていつもの八百屋を覗くと、西洋野菜をいち早く売りはじめたと言う名物おばさん、いえ、お姉さんが私を見つけて飛んで来てくれました。ここでもハグ。

 途中主人は仕事に向かい一人でした。セントラルの街に降りて来た時、いろんな思いが込み上げて来て、ボロボロと涙が出ました。

 モモとの思い出をに乗り越えることが出来ました。街の人たちが私を覚えていてくれました。数年の赴任で住む人が多い香港です。人の入れ替わりが激しい街です。常に動いている香港です。私の肩を抱いてくれた人の温もりがまだ残っています。香港はこんな小さな私までも大きく包み込んでくれました。

 セントラルの交差点から見上げた見慣れた狭い空が「またおいで。」と言ってくれているようでした。

 


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