晴、18度、75%
母が元気にこの家に住んでいた頃ですから20年ほど前です。当時母は70歳代、あの頃私が日本に帰国するのは一年に1、2度でした。東京にいる息子と母の顔を見に帰国でした。この家に入ってまず驚いたことがありました。食器棚にマグノリアの花が描かれたマグカップが2個並んでいました。
母は日本の陶器ばかりを食器にしていました。艶やかな磁器の食器はこの家にはありませんでした。マグカップなども母は使いませんでした。しかも金線が入っています。「どうしたの?もらったの?」と尋ねると「明るい食器が欲しくなって、買ったのよ。」と朝になるとそのマグカップで温めた豆乳を飲んでいました。日本家屋のこの暗い家にそのマグカップはポット灯が灯ったように見えました。
1年ほど前、小さな絵付けのティーポットが目に留まりました。最近は急須とは言わずにどんなお茶を入れてもいいようにティーポットと呼ばれます。持ち手は急須のそれとは違います。小さくで派手な手描きの絵付けです。ティーポットは大小いくつも持っています。急須も持っています。幾度も手に取って眺めました。 持ち手にも、 蓋にも、細かく描き込まれています。「かわいいなあ。」一度置いて店を出ようとしましたが、戻ってもう一度手に取りました。「家に持って帰ろう!」そう決めたのは、 蓋裏に描かれた鳥の絵を見たからです。
緑茶も紅茶も中国茶もこのティーポットで淹れるようになりました。主人が帰宅している時に食後のお茶を入れようとこのティーポットを出して来ました。お湯を注いで、「あっ!二人分は入らない。」と気付きました。
暑い夏場はずっと食器棚にありました。涼しくなって、またティーポットの出番です。小さいので茶葉を入れた後は葉が開くようにゆっくり回してやります。
私の食器は磁器も陶器もありますが、明るい絵付けのものは数えるほどしかありません。小さな明るいティーポットを見ながら、母の言葉を思い出しました。「明るい食器が欲しくなって買ったのよ。」あの時の母の年齢に私も近付きました。暗い日本家屋、重い色の家具に囲まれていると、テーブルの上に明るいものが欲しくなります。母のあの頃の気持ちが分かるようになりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます