気ままに

大船での気ままな生活日誌

東慶寺 岩がらみ見頃

2010-06-07 18:40:16 | Weblog
東慶寺の本堂裏の”岩がらみ”が見頃になりました。

これが岩がらみの根元です。この一本の幹が岩を這い上がり、岩壁一面に拡がっているのです。

気根を出して、どこまでも伸びつづけるらしいです。

白い花のようにみえるのは、顎で、いわゆる装飾花です。似たような植物に蔓アジサイがありますが、それとは分類学的にも異なり、ユキノシタ科イワガラミ属なのだそうです。


毎年、観に行っています。6月15日で公開終了です。公開時間も限定されていますので気をつけてください。平日は11~12時、13時~14時です。休日は、15時~16時です。

岩たばこは、まだ大部分蕾ですが、ひとつ、ふたつ咲いていました。一番よく咲いていたのは、岩がらみの下にあったものです。やっぱり対抗心で、早く咲いたのでしょうか。ある程度、ライバル意識がないと、向上心がわいてこないのは、植物も同じですね。

こちらの岩壁のは、まだほとんど蕾ですが、あと一週間もすると、すごいことになるでしょう。楽しみです。


あ、そうそう、柏葉紫陽花は見頃になっていましたよ。
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明月院: 花菖蒲見頃 紫陽花はほんのり青色

2010-06-07 17:30:53 | Weblog
今日の午後、北鎌倉の明月院に花菖蒲&紫陽花の咲き具合を偵察してきました。どうぞ、これから出掛ける方、参考にしてください。

結論から先に言います。花菖蒲は今が見頃です。入園料500円払ってもおつりがくるくらいの花盛りです。お色気いっぱいです。一方、紫陽花(ヒメアジサイ)は、ほんのり青色が入りはじめました。色気づいた頃です(笑)。紫陽花が最盛期の頃は花菖蒲は年増になりますので、二回訪ねるのが、一番いいでしょう。ぼくは三回、訪ねます。娘盛り、女盛り、それにおばば盛りと、それぞれに味合いがあります。

方丈の丸窓の向こうに菖蒲園が。おっ、咲いてる、咲いてる


見事な咲き具合。






老眼鏡をはずしてみた。これも、なかなかいい。おばば盛りのときは眼鏡をはずしてみよう。皺もやつれも隠れる。


また、眼鏡をかけ直し、一つひとつ見た。本当にうつくしい。ホモ・サピエンスより余程うつくしい。

黄菖蒲は一本だけだった。


すばらしい花園だった。




紫陽花はまだこんな感じ。また来るね。雨上がりの雲間の青空のような色になる頃にね。
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大遣唐使展

2010-06-07 11:01:15 | Weblog


今回の奈良小旅行のメインは、奈良博で開催中の”大遣唐使展”だった。めったに観られない”宝物”のてんこ盛り展示にわくわくしていた。でも、考えてみると、遣唐使のことについての知識といえば、中学や高校のときにならったことぐらいと(大部分忘れているが)、何かのテレビドラマや関連ニュースをみたかどうかという程度であった。

たとえば、阿倍仲麻呂が入唐後、むこうの官吏となり出世して、帰国しようとしたが、当地で死去、あの有名な”天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも”の和歌をつくったとか、仲麻呂と同期で入唐し、その後も二度目の遣唐使になった吉備真備の名前とか、吉備真備と、同期の遣唐使船で鑑真和上が来日したとか、そんな程度である。だから、もう少し予備知識を得ておこうと、ふたつの本を図書館から借りて読んでおいた。東野治之著”遣唐使”と古瀬奈津子著”遣唐使の見た中国”である。とても役にたった。

国宝40件、重文80件、海外からの重要作品などを含む約260件を七部の構成で展示してある。それらは、奈良博のホームページで観ていただくとして、ここでは、順不同で、かつ偏見的(笑)感想を述べてみたい。

”井真成(せいしんせい)の墓誌”にはカンドーした。遣唐使として入唐し、仲麻呂のようにむこうで官吏となり出世した。しかし、36歳の若さで夭折し、玄宗皇帝も早世を惜しみ墓誌に銘文を刻む。最後の文章が涙を誘う。異国の地に埋もれても、魂は故郷の地へ。日本名は葛井真成だったと”参考書”には書いてあった。井上だという説もある。5,6年前の、この墓誌発見のニュースには驚いたものだった。こうして実物の墓誌をみると、目がしらが熱くなる。

”入唐求法巡礼行記”は非常に貴重な文献だそうだ。円仁の書いた、唯一残存する遣唐使旅行記だそうだ(国宝)。船の中の様子や、唐についてからの行動を事細かく記しているという。たとえば、船内には航海の神様、住吉大神の神殿があるとか、行路も奈良を立ち、まず浪速の住吉神社にお参りし、瀬戸内海を通り、博多大津から出発する。唐の楊州に滞在したしたそうだが、唐の国忌行事がこれほど詳しく記載されているのは中国にもないそうだ。前述の”遣唐使の見た中国”は、この書からの引用がほとんどである。個人所蔵とあった。古本市場ではどんな値段がつくのだろうか(汗)。

住吉さんで思いだしたけど、わが鎌倉の八幡さま所蔵の”住吉神像”も展示されていた。日宗貿易の港として栄えた和賀江島(鎌倉材木座にあり、我が国最古の港湾施設。遺構)に近い逗子の住吉神社に祀られていたものだそうだ。直接、遣唐使とは関係ないけど、住吉さんのおかげで、奈良まで旅行できたのだろう。こんど八幡さまで再会しよう。

”文館詞林”高宗の命により編纂された漢詩文集。その写しだが、現在は中国にも残っていない貴重本だ。国宝である。漢詩文は当時、必須の教養であったため、遣唐使が書き写してきた書は、最新の教科書として使われたらしい。和歌山の正智院所蔵。和歌山といえば、梅干しと冬美ちゃん。最近、ビリーバンバンのカバー曲”また君に恋してる”がはやっていますね。なかなかいい歌ですね。”夜桜お七”の上を行くかもしれないな。ぼくは漢詩文より歌謡曲が好きです(汗)。

これから、出掛けるので(汗)、つづきは夕方からにします。絵巻と仏像とか、いいのがいっぱいありますので画像は次回に。
ゲゲゲの女房、可愛い赤ちゃんが生まれて良かったですね。調布が舞台ですが、ぼくは隣りの三鷹に住んでいました。これも遣唐使に関係ないな。



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