気ままに

大船での気ままな生活日誌

梅雨の晴れ間 円覚寺

2010-06-16 19:13:44 | Weblog
今日はふたりで明治神宮御苑の花菖蒲を観にゆく予定だった。しかし、朝から雨だし、午後も時折強い雨もという予報だったので、止めることにした。ところが、予想は大外れ、雨が上がると、そのあと、ずっと晴れていて、梅雨に入ったばかりで、こう言うのも気がひけるけど、”梅雨の晴れ間”の一日だった。

で、今日は午後から逗子の図書館で遊んで(念のため傘をもって)、帰りみち、4時頃、北鎌倉で降りて円覚寺に寄った。紫陽花もけっこうあるし、緑もいっぱい、それに、この時間になると、境内は閑散としていて、とてもいい気分で、1時間ほどすごすことができた。

堂々たる山門。漱石の”門”もこれである。関係ないけど、小町通りに”門”という喫茶店もある。これも関係ないけど、ぼくは駅前のルノアールをよく利用する。これもさらに、関係ないけどルノアールの描く裸婦はどうしてみんなデブなのだろうか(爆)。


円覚寺にも紫陽花があちらこちらに咲いていて、結構楽しませてくれる。



黄梅院前の白い紫陽花も、清々しかった。

庭園の苔の緑も、清々しかった。

黄梅院門前のお言葉も、清々しかった。


降りてくる途中、岩陰に岩たばこの花をみつけた。いくつか、水上に浮かぶ花をみつけた。諸行無常のひびきがきこえた。


青葉繁れる木々もあった。



山門を出て、ふとふりむくと、今年の円覚寺夏季講座の案内板があった。毎年、受講しているが、今年は旅行の計画があり行けない。去年は小泉純一郎さんも話されたが、その日、急遽、衆議院の解散があり、国会議員として最後の講演となった。講演を短縮してあわてて国会に向かったが、交通渋滞で、最後の国会に出席出来なかったとか。今年は野中広務さんの話が面白そうだ。”加藤の乱”とか”毒まんじゅう”とか”ひれ伏してでも”とか”官房機密費”とか、面白い話が出るかもしれない。でも、お寺の講話にはふさわしくないかな。

足立大進管長さんも、いつも、ユーモアある、心に残る、いいお話しをしてくださった。今年から新しい方に変わった。筑波大出身の40代の若い管長さんだそうだ。ご講話を伺ってみたかったが、残念だ。来年はぜひ、都合を合わせよう。


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奈良三名椿

2010-06-16 06:45:16 | Weblog
なら町を歩いて、ホテルのある三条通りに向かう途中、遠くになんとなく気になるお寺をみつけた。歩き疲れたワイフを待たしておいて、そのお寺に近づいた。山門があるのだが閉まっている。どこか他に境内への入り口があるのか、うろうろしていたら、そこのお寺の方がたまたま出て来られ、ここは椿の花の時期にしか開けないのですよと言って、いろいろ、寺の由来やら、椿のことなどを説明してくれた。


奈良に三名椿とよばれる椿があり、ここ傳香寺に、そのひとつ、”武士(もののふ)の椿”と呼ばれている椿があるのだそうだ。椿の花は普通、花ごとにボトリと落花するが、ここのは桜の花のように、花びらが一枚、一枚散る、珍しい品種ださそうだ。椿愛好家のために、花の咲く頃にだけ開門するということだ。ついでながら、あとのふたつはどこのですかと、尋ねると、東大寺開山堂の”糊こぼし椿”と白毫寺の”五色椿”だという。前者は赤い花弁に白い糊をこぼしたような花で、後者は一本の樹に五色の花が咲くという。

東大寺開山堂の”糊こぼし椿”というと、思いだすのは、数年前訪れた、東大寺二月堂の、”修二会”お水取り見学のことだ。内陣の須弥壇に造花の紅白の椿の花が飾られていた。ただこの造花は互い違いに紅白の花弁をつけている花で、糊こぼし椿とは異なる。その椿は”一枚かわり”という品種名で、高知の旧家の屏風絵に描かれていて昔は存在していたらしいが、現在、生花としては確認されていないそうだ。

そして、五色椿というと、山種美術館所蔵の、速水御舟の”名樹散椿”を思いだす。これは、まさに五色の椿で、おまけに散るときは、前述の椿のように、花びらで散る。ぼくは、はじめ名樹散椿は、空想の椿と思っていた。もしかしたら、白毫寺の五色椿をモデルにしているのかと、帰ってから調べたら、京都、地蔵院(別名、椿寺)の”五色八重散椿”という椿だった。北野天満宮を少し南へ行ったところにあるらしい。絵を観ると、確かに、五色の花が咲き、一枚一枚の花弁が土に散っていた。


また、このお寺は、鑑真和上の一番弟子、思たく(言に宅)が故国を偲んで唐風の庵を結んだところで、実円寺と称されていたらしい。その縁で、ここの住職は、必ず、唐招提寺の長老になられるということだ。由緒あるお寺なのだ。

前日、唐招提寺御影堂でお会いした鑑真和上さんが、ここにぼくを連れてきてくれたのだろうか。ご縁である。また、椿の咲く頃に、ここを含め、奈良三名椿を訪ねてみよう。

。。。。。

なら町の風景 ぼくの好きな古い街並みだった。志賀直哉がひょこっと出てきそうな家もあった。






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