ワイフと明治神宮御苑の花菖蒲をみてから、それぞれ別行動に。ぼくは渋谷に廻り、BUNKAMURAのデュフィ展を観に行くつもりだった。でも、会場に着き、念のため、13時開場のコクーン劇場を覗いてみた。10分前だから、当日券(立ち見)はもうないだろうと思っていたが、まだOKという。それならばと、急遽、予定変更した。いずれ立ち見で観るつもりだったから(椅子席は千秋楽まで空席なし)。
ここでの立ち見は、はじめて。立ち見場所の指定があって、そこからしか観られない。ぼくはM2階の一番うしろ。全体がよくみえるし、端だから後ろの柱に寄りかかれるので、立ち見の特等席(汗)。3時間ほど立ち通しでも疲れない自分をほめてやりたい(爆)。疲れないのは、舞台が面白いからの証拠。車道を3時間も歩いたらくたびれるが、花咲く山道を3時間歩いても、ゼンゼンつかれないと同じ道理。
コクーン歌舞伎第十四弾。”三人吉三”。串田和美演出。勘九郎(和尚吉三)、七之助(お譲吉三)、松也(お坊吉三)。新吾(十三郎)、鶴松(おとせ)。笹野高志ら自由劇場出身の俳優も一緒に。
序幕のクライマックス。大川端庚申塚。
お譲吉三の名せりふがきける。待ってました七之助!
月も朧に白魚の篝も霞むの空冷てえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと浮かれ烏のただ一羽ねぐらへ帰る川端で竿の雫か濡れ手で粟思いがけなく手に入る百両ほんに今夜は節分か西の海より川の中落ちた夜鷹は厄落とし豆だくさんに一文の銭と違って金包みこいつぁ春から 縁起がいいわえ
そこに現れた、同じく盗賊、お坊吉三。今、奪った金包みを置いていけ、とすごむ。何をぬかす、ひょろくだま、お前なぞに渡せるものか(そういうせりふにはありません;汗)と、刀を抜いた争いとなる。どちらも甲乙つけがたい腕前。勝負がなかなかつかない。そこに、現れたのが吉祥院の坊主上がり、これまた盗賊の和尚吉三。腕も立つが、口も立つ、そして男気もある。この仲裁で七之助、松也は、兄貴分の勘九郎に、義兄弟の契りを申し出る。そして、三人吉三は血盃をかわすのであった。三人吉三誕生の見得に大きな拍手。
二幕目では、様々な物語が絡み合う。黙阿弥らしい筋立て。愛し合う十三郎とおとせは実は双子の兄妹だった。ふたりの兄が和尚吉三。お坊は和尚の父親とは知らずに殺していた。お譲吉三は、おとせの百両を奪ったのが事件の発端だと苦悩する。お坊とお譲は和尚吉三に申し訳ないと差し違えようとする。そこへ、現れた和尚。生きていても地獄の苦しみとなろう双子の首を持参、これを手配中のお坊とお譲の首として、差し出すので、二人は逃げて、改心しろという。
そして、大詰。本郷火の見櫓の場。幕が開くと、観客がおどろきの声。しんしんと雪が降っている舞台。持参した首は贋物だと、お坊は捕らわれ、三人吉三の詮議が行われている。これを知った二人が櫓太鼓を打ち鳴らし、木戸を開けさせ、討ち入る。お坊も駆け付け、三人吉三、勢揃い。大雪の中の捕手たちとの立ち回りがすごい。ときどき、どか雪も。鬱積していた心のウサを晴らすかのように、白い世界に跳ね回る。しかし、もはやこれまでと知った、三人は互いに差し違え、果てるのであった。雪はしんしんと降り続いている。
観客の5列目まで、みなの髪が雪で真っ白になっていた(上から観ているのでよくわかる)。拍手が止まない。全出演者が舞台に上がる。演出家の串田和美も最後に現れた。コクーン歌舞伎をはじめた勘三郎も、天上から息子たちの演技を観ていたことだろう。もしかしたら、あの、どか雪は、勘三郎が、うれしくて落としたのかもしれない。
稽古風景(プログラムから)