気ままに

大船での気ままな生活日誌

中津川べり 深沢紅子美術館  盛岡散歩#1

2014-06-26 11:48:51 | Weblog

東北旅行へ出かける前々日、二人の妹と中華街で飲んだ。そのとき、仙台近郊に住む妹は、”大人の休日倶楽部パス”で旅行中で、翌日は、川崎の妹も一緒に信州に廻るとのことだった。実は、ぼくら夫婦の今回の旅行も、このパスを使ってのものだったので、兄妹そろって出掛けるのが好きだなあ、と大笑いした。

この休日パスについて、ちょっと紹介しておくと、年に数回、たとえば今回の梅雨時(6・18~6・30)のように、誰も旅行に行きそうもない時期に設定されている。その期間の4日間、東北、北陸中の新幹線を含む電車乗り放題で17000円というお得な切符なのだ。おまけに今回は4日間とも、好天気で、JR東日本の鼻を明かしてやった(爆)。

青森も新潟も金沢もこのパスで行っているが、今回は盛岡に二泊、花巻に一泊という行程にした。盛岡は以前、仕事で来たことはあるが、ゆっくり市内を巡ったことはなかったし、宮沢賢治の故郷、花巻は、いつも通り過ぎるばかりだった。

どこから書き始めようかと思うが、お昼ごろ盛岡に到着して、最初に食べたのは盛岡名物でなくて、あまちゃんの故郷、久慈の郷土料理、まめぶ汁だったことから始めよう。一度、食べてみたかった。くるみと黒砂糖を小麦粉でからめた団子汁ですね。もちろん、岩手といえばわんこ蕎麦、その素材はざるそばとして、しっかりいただきましたよ。

団子は下に沈んでいます(笑)

荷物をホテルに預け、300円で乗り放題の市内巡りでんでんむし号に乗る。初日は中津川べりと、それにつづく城跡公園を歩くことにした。最寄りのバス停で降り、りっぱな擬宝珠をもつという上の橋に向かう。

 中津川辺に着いた。上の橋がみえる

上の橋のりっぱな擬宝珠。橋自体は再建されているが、擬宝珠は天長14(1609)、16年のままである。国指定の重要美術品。

ここに、比較的新しい案内板が。浅田次郎の小説”壬生義士伝”の舞台にもなったとのこと。南部藩随一の剣の使い手が赤貧洗うがごとくの生活から脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組に入隊する物語。映画にもなって、ぼくも観ている。感動的な作品だった。中井貴一主演。幼い娘みつとこの橋で別れる。”おくりびと”の滝田洋二郎監督。

ゆったりと流れる中津川の風情がとてもいい。大きすぎることもなく、小川でもなく、こんな川が大好き。川べりを歩いていくと、新渡戸稲造の胸像が。ここから、中津川沿いに、城址公園を横にして、向こう岸の新渡戸稲造の生家までの830mの道をビクトリーロードという。稲造がカナダのビクトリア市で客死している。その縁で両市は姉妹都市になっているそうな。

この胸像の向こう岸に深沢紅子野の花美術館がある。

軽井沢に、”軽井沢タリアセン”という名の文学館や美術館の集まった公園があるが、そこにも深沢紅子美術館がある。深沢夫妻は堀辰雄と親交があり、堀辰雄没後、彼の山荘に住んでいる。立原道造とも親交があり、盛岡の深沢宅で療養もしている。そんなことを思い出す。

4年前に撮った、軽井沢の堀辰雄山荘。

美術館で虹子の絵を観る。三階には、女性の人物画と花瓶に活けた花の絵。中津川の流れのようにゆったりした、ほのぼのとした、いい絵ばかり。ローランサン風といわれることもあるようだ。なるほど。2階は山野草の植物画がずらり。まさに野の花美術館。こうして、作者の地元でみる絵は格別。夕餉のお酒も地酒、あさ開が格別(汗)。

館内から中津川の風景がみられる。紅子さんも中津川が大好きで、川原に勿忘草が咲き誇る、昔のままの姿に残して、といつも言っていたそうだ。

(つづく)

 

 

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