おはようございます。旅先、長崎ハウステンボスからの投稿です。雨天が続き、しょんぼりしていましたが、昨日の夕方、突如、雨がやみ、なんと雲間からほぼ満月のお月さまが!すべてのイルミネーションショーも開催され、まさに奇跡の逆転満塁ホームランといったところ😊詳しくは、帰宅してから報告するとして、今日は、先日、見に行った展覧会感想文を載せたいと思います。
太田記念館で開催していた水野清方展、閉幕前日に行ってきた。鏑木清方の師匠で、ときどきは作品を拝見しているが、このような回顧展ははじめてだったので、楽しみにしていた。
水野年方(1866・慶応2年~1908・明治41)は、14歳のときに月岡芳年の塾に入門したが、先生の素行が悪く、父親がやめさせてしまったそうだ(笑)。でも17歳で再入門して、修行時代を送る。はじめ、武者絵や新聞の挿絵などを描いていたが、明治20年以降、次第に認められ、美人画も描くようになる。さらに日清戦争が始まると、戦争画も増えてくる。そして、明治28年以降には、”文芸倶楽部”などの雑誌で、尾崎紅葉、泉鏡花、幸田露伴ら小説の口絵を担当するようになり、人気も出る。
今回のちらしには、小栗風葉の出世作となった”恋慕ながし”の口絵(1900)が使われている。これしか写真がない。まず、それを載せる。尺八を吹く男と胡弓をもつ女が柳の下に。女が振り向く先に、三日月と家屋の灯りを背景に街を行き交う人々がシルエットのように描かれている。
そしてマイブログから”年方”を探索してみると、いくつも出てきたが、絵画を載せているのは、ただひとつ、2013年に神奈川近代文学館で開催された泉鏡花展の感想ブログであった。それには、鏡花組ともいうべき挿絵画家、装幀家である鏑木清方、水野年方、小村雪岱、橋口五葉らの作品が豊富に展示されていたのである。その中に、年方の”外科室”があった。鏡花が小説家としてデビューしたばかりの時期の代表作。この小説は”文芸倶楽部”に掲載されたが、その口絵を描いたのが水野年方だった。”外科室”の物語は病院の外科室を舞台としているが、この絵は自宅で療養する女性の姿となっている。外科室というと、玉三郎監督、吉永小百合主演の映画を想いだす。
そして、明治29年以降、気品あふれる明治の美人たちが次々と現れる。”茶の湯日日草”と”今様美人”シリーズ。そして、年方の代表作と言われる、”三井好、都のにしき”シリーズ。三井呉服店の商品と似ているものが多く出ているので、宣伝のための非売品の配りものだったのではないかと考えられている。
なんと、年方は明治41年(1908年)、過労がもとで、43才で亡くなってしまった。しかし、弟子の、清方、深水らにより、年方の画風は、大正、昭和へ、脈々と受け継がれていった。
最後に、展覧会では出ていませんでしたが、一番弟子の鏑木清方が描いた”先師の面影”(年方の肖像)で締めくくることといたしましょう。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!