こんばんわ。
晩秋のお月見14連勝を達成しましたのでご報告します。 ぼくがこの夏に達成した”夢のお月見15連勝”にあとひとつに迫りまりました。明朝、観察すれば、お月見連勝タイ記録となりまする。
月の出はもう夜中になりますので、昨日から朝のお月見になっています。
10月12日早朝
今朝の富士山
今日の紅葉(円覚寺)
今日の十月桜(東慶寺)
今日の、ぼけの実とぼけた花(東慶寺)
稀勢の里、黒星スタート。 (詳しくは明朝)
それでは、おやすみなさい。
いい夢を。
(竜胆、東慶寺にて)
こんばんわ。
晩秋のお月見14連勝を達成しましたのでご報告します。 ぼくがこの夏に達成した”夢のお月見15連勝”にあとひとつに迫りまりました。明朝、観察すれば、お月見連勝タイ記録となりまする。
月の出はもう夜中になりますので、昨日から朝のお月見になっています。
10月12日早朝
今朝の富士山
今日の紅葉(円覚寺)
今日の十月桜(東慶寺)
今日の、ぼけの実とぼけた花(東慶寺)
稀勢の里、黒星スタート。 (詳しくは明朝)
それでは、おやすみなさい。
いい夢を。
(竜胆、東慶寺にて)
図書館でたまたま手に取った本が気に入って、ここ毎日のようにページをめくっている。松村由利子著の”短歌を詠む科学者たち”だ。七名の科学者たちの人生(伝記)とその折々に詠われた短歌が紹介されている。
ぼくは学生時代から科学者の伝記を読むのが好きで、今でも、幾つかの伝記本を書棚に残してある。一方、短歌は自分では詠まないが、人の歌を読むのは好きだ。ということで、この本にはまってしまうのは無理はないというもの。次のような章立てになっている。
第1章 理論物理学者の歌ごころ/湯川秀樹の場合
第2章 精神科医の日常の深みから/斎藤茂吉の場合
第3章 生命科学者を支えた歌/柳澤桂子の場合
第4章 物理の世界から科学ジャーナリストへ―/石原純の場合
第5章 細胞のふるまいと歌の狭間に/永田和宏の場合
第6章 パリで詠み続けた女性物理学者―/湯浅年子の場合
第7章 コンピュータの未来と短歌/坂井修一の場合
どの科学者のも興味深く読ませてもらったが、とくに、柳澤桂子と永田和宏の人生の歌には胸を打つものが多かった。代表して紹介したいと思う。まず、第3章:生命科学者を支えた歌/柳澤桂子の場合から。
柳沢桂子は大学卒業後、婚約者との結婚のため渡米し、彼の留学先コロンビア大学に自身も入学した。研究だけではなく、ニューヨークの音楽会や美術館にもよく通い、楽しい生活を送っていた。大腸菌の酵素の研究も順調に進み、ある日の講演会で、面白い仕事ですね、しっかりがんばってね、と話しかけてきた年配の女性科学者がいた。のちにトランスポゾンの発見でノーベル賞をとるマクリントック博士だった。そして、学位をとり、出産をし、帰国。一年間、慶応大学に務めたが、また渡米。こんどは、育児に専念し、7年間、研究から離れることになる。帰国し、ようやく、研究に復帰し、三菱生命研で発生学の研究をはじめる。75年に主任研究員となったが、69年頃から原因不明の頭痛や嘔吐、めまいに悩まされ続けていて、しばしば欠勤した。そして、とうとう、この病気のため、1983年、研究所を辞めざるを得なくなった。前述のマクリントック博士がノーベル賞をとった年であった。
そして、闘病生活に入る。医者にも見放され、悶々とした日々を過ごす。ある日、柳沢は一冊の歌集をみつける。中城ふみの”乳房喪失”だ。乳がんを患いながら、最後まで短歌を詠み続けた。柳沢も自分でも歌をつくりたいと思うようになった。この頃からサイエンスライターとしての道を歩み始めていたが、短歌の勉強は語感を磨くことになり、自分の仕事にも役立つだろうとも思った。その後、相変わらず、原因はわからず、症状は進み、寝たきりの生活をするようになってゆく。それでも著作をつづけ、歌も詠みつづけた。
病気とのたたかい。医師にひどいことを言われたこともある。
その果てに心の病と誤診され辛き言葉を浴びせられ来し
病より医師の言葉が辛かりき桜の花も灰色帯びて
闘病生活の中で見つめつづけていたのは、植物のつよさであり、うつくしさであった。
生も死も超えし優しさ白木蓮の花ほぐれゆく音も立てずに
今生は病む身に耐えて生き抜こう後生は白い椿になりたい
私が羊歯だったころ降っていた雨かも知れぬ今日降る雨は
すすむ病状。
十五年病臥する身はようよう透きてこころは宙に溶けゆく
背が縮んだ十二センチも小柄なおばあさんなり歯はまだあるか
どのくらい土を踏まなかったことだろう幾年も風にも祈らなかった
ラベンダーの野に寝てみたいその次は波打ち際を歩いてみたい
食べ物もとれなくなり、中心静脈栄養を受けるようになる。
けものなら死ぬであろうに人ゆえに医学によりて生きて苦しむ
生きるという悲しいことを我はする草木も虫も鳥もするなり
モルヒネも効かない痛みが抗うつ剤でとれるという情報を得て、それが成功。食事がとれるようなる。
一口のパンが喉を通った日私は真紅の薔薇になった
その頃、見知らぬ医者から手紙が届いた。柳沢の著書を読み、あなたの病気は副腎皮質刺激ホルモンの異常放出によるものではないか、という内容だった。1999年、発病から30年の月日を経て、やっと診断が下った。そして、治療により、回復し、家族と一緒に食事がとれるようになり、家の中を歩き回れるようになった。
発病から四十余年、柳沢はようやく若かりしころの自分を振り返る余裕ができ、こんな短歌も詠うようになった。
タイマーを五つ並べて実験したのは遠きコロンビア大学
風邪気味のマウスを胸に温むるわれ若りしポニーテールの
胸にじーんとくる柳沢桂子博士の人生と短歌でした。
おはようございます。
11月11日、葉山しおさい公園に出掛けた。お目当ては松林に群生しているツワブキ。今年は時期もぴったりで十分、楽しめましたよ。
黒松林のあちこちにツワブキが。
まつぼっくりと一緒に
松林の休憩所からは葉山の海がみえる。そのあと、浜辺まで降りて行った。
公園内のしおさい博物館では、葉山町所蔵美術展が開催されていた。
そうそう、ここの磯菊も見事ですよ。いったん、松林を出て海側の広場にご覧の通り。
もみじはこれからですね。
日本庭園の錦鯉はいつでも見頃です。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!