おはようございます。
先日、夏の風物詩、入谷の朝顔市を楽しんだあと、近くの根岸の子規庵を訪ねた。20年振りくらいだろうか。ここは、正岡子規が晩年、住んだ家で、34歳11ヶ月の短い生涯をここで終えている。没後、母と妹が住み続けたが、昭和20年の空襲で焼失した。その後、昭和25年にほぼ忠実に再建され、27年に東京都文化史蹟に指定され、現在に至っている。
子規庵外観
前回は外観を見ただけだったような気がする。今回は室内見学もでき、庭にも出られ、かつ、写真撮影も可能となっていた。玄関を入ると、すぐ10畳間くらいの大きな部屋がある。その向かいの六畳が子規の仕事部屋であり病床の間であった。
病床の子規の写真も飾られている。
これが、有名な三尺四寸の机。六寸角の切りこみは、病床にこの机を寄せ、そこに左の膝を立てて執筆した。”墨汁一滴”、”病牀六尺”の両随筆、そして、日記”仰臥漫録”をここで書き続けた。
ここから見える庭。当時そのままに糸瓜(へちま)の棚もある。
子規が描いたへちまの絵。(2017年、神奈川近代文学館での”正岡子規展/病床六尺の宇宙”より)
糸瓜がひとつ成っていた。
子規自筆の自画像
”書くことは生きること”と亡くなる直前までここで書き続けた。辞世の三句は糸瓜が主題。
をとといのへちまの水も取らざりき
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあわず
庭から見る子規庵
。。。。。
近くに先代林家三平師匠のお宅がある。”ねぎし三平堂”として落語会も開かれる。
お豆腐料理で有名な”笹の雪”もこの近く。子規もよく利用したという。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!