気ままに

大船での気ままな生活日誌

徒然なるままにカルガモ母子

2018-07-25 22:01:25 | Weblog

こんばんわ。

”徒然なるままに”シリーズ第〇弾です(笑)。午後の中途半端な時間からはじまる竹内整一先生の”徒然草を読む”の受講の日の出来事を綴るシリーズ。今日は、帰り道のこと。

昨日までの厳しい暑さとは違って、今日は、幾分、凌ぎやすい。で、帰り道は遠回りして。それが良かった。暫く振りにカルガモ母子に再会できた。きっと、母子とも暑さがやわらぎ、ホッとしたのでは。気持ち良さそうに休んでいました。

四羽とも元気。でも、7月15日以来だから、もう少し大きくなっていてもいいはず。暑さ負けかも。

。。。。。

今日の徒然草は、ぼくの好きな、第155段が入っていた。季節の移り変わりは、例えば、夏という季節が暮れきって秋になるのではなく、夏の中にすでに秋の気配が通っているように徐々に進む。それでも四季には春夏秋冬という順序がある。しかし、人間の場合、死はそんな順序にかまわず、いきなりやってくる。しかも、前からやってくるばかりとは限らない。後ろからだってやってくる。

第155段の原文。後半部だけ。

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣、下に設けたる故に、待ち取る序、甚だ早し。生・老・病・死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事、しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。


徒然なるままにオオモクゲンジの袋状の実。今日の公開講座のあった大学の門の脇に。

今宵のお月さま。あと3日で満月。台風が来そうで心配。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

縄文のビーナス

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炎暑の東慶寺 百日紅、撫子、女郎花

2018-07-25 10:16:32 | Weblog

おはようございます。

度を越した暑さの表現としては、猛暑、酷暑、炎暑などいくつかあるが、これらの中で一番、暑そうなのはどれ?と聞かれたとき、ぼくは炎暑と答える(笑)。なんてったて、炎ほど熱いものはないからね。ということで、今頃の暑さは、まさに炎暑。

午後4時過ぎだったが、まだ炎暑はおさまるどころか燃え盛っていた。観光ミシュラン三ツ星の東慶寺もさすが人っ子一人いない。いや、一人だけいた。

炎暑の中、燃え盛っている花は三つ、四つ。

ひとつは、撫子。さすが大和撫子はつよい。霞んで見えるのは、ぼくの老眼のせいではなく、レンズがくもったため。こんなことははじめて。炎暑のためか。二度目以降はそのたび、レンズを拭いてから撮った。まるで炎のように撮れた。

女郎花(おみなえし)は秋の七草なのに、夏の暑さにも負けない。ぐんぐん伸びているし、花も盛りだ。

白い桔梗。仏性は白き桔梗にこそあらめ(漱石)。句碑は向かいの円覚寺の帰源院にある。

炎暑に似合う百日紅の花。

煙りが!

炎暑に似合う炎かな。

お寺を出て、北鎌倉駅前の池でカワセミを探したが、どこかに避暑に出掛けたようだった。


それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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