おはようございます。
東御苑で山百合とイワタバコが同時に咲いていたのを見た奇跡の7月1日に、東京ステーションギャラリーの”夢二繚乱”を見てきた。これもまた、夢二展としては”奇跡の”展覧会だったかもしれない。
”智恵子抄”の版元として知られる龍星閣の創業者・澤田伊四郎は、竹下夢二(1984-1934)の死後、人気が下火になっていた第二次世界大戦後に、おれが夢二を復活させると、次々と夢二の画集を出版した。その間、1200点を超える夢二作品が蒐集された。その後、コレクションは千代田区に寄贈された。その、約500点が一度に展示されるのだから、まさに”夢二繚乱”。
東大弥生門の近くに、弥生美術館と廊下で繋がっている竹久夢二美術館がある。何度か訪ねているが、いつか、”竹久夢二の七つの顔展”が開かれていた。そこでは、夢二は七つの顔をもつ男として、画家、詩人、評論家、書家、デザイナー、プロデューサーなどの多彩な才能が紹介されていた。
本展では、学生時代の画文集”揺籃”や晩年の自伝的小説の”出帆”をはじめ、装幀本、楽譜集、絵本、絵葉書、千代紙、半襟のデザインなど様々な分野での作品が並ぶ。
第1章 夢二のはじまり
早稲田実業に在学中、夢二は新聞、雑誌に絵や詩を投稿していたが、明治38(1905)年に”中学世界”に応募したコマ絵が入選、さらに明治42(1909)年には”夢二画集/春の巻”が刊行された。本展では、20歳の試作、画文集”揺籃”が初公開されている。
画文集”揺籃”表紙 明治36(1903)年
第2章 可愛いもの、美しいもの
大正3(1914)年10月、日本橋に”港屋絵草紙店”を開店する。ここでは夢二デザインの千代紙・絵封筒・便箋などの小物や日用品が並んだ。また、夢二は生涯、300冊の本の装幀にも関わり、大胆なデザインなど実験的な試みがみられる。また、この時期に、”夢二式美人”のスタイルが確立する。
港屋絵草紙店 大正3(1914)年
白木蓮と乙女 大正8(1919)年頃
大椿 大正3-5(1914-16)年
第3章 目で見る音楽
夢二は、数多くの楽譜の表紙を描いている。セノオ音楽出版社の楽譜が壁いっぱいに飾られているのは壮観。この場面くらい写真を撮らせてくれればいいのにと思う。けちんぼ、と文句を言いながら眺める(笑)。中山晋平作曲全集もずらり。夢二作詞の”宵待草”ほか270点余りの楽譜曲も。じっくりみたいが数が多くて、それに最終日だったので混雑していたし、さらりと。
セノオ楽譜”ロリタ”原画 大正12(1923)年
セノオ楽譜”雲雀”原画大正13(1924)年
婦人グラフ 表紙 大正15(1926)年
第4章 出帆
昭和2(1927)年に都新聞で連載された”出帆”。夢二の半生を綴った自伝小説。夢二の一生を年譜にして、”出帆”の挿絵、134点を並べて展示。その長さは40メートルにも及ぶ。ここもゆっくり見たかったが、さらりと。
出帆 原画 昭和2(1927)年
豪華絢爛の夢二繚乱でした。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!