おはようございます。
浄智寺の鐘楼門へ向かう石段を登りながらふと思った。そうだ、たしかこの石段の両側に彼岸花が並んだ場面を何かの映画で見たことがあったっけ。
鐘楼門の前の萩は今、咲かなければ咲くときがないと必死に咲いていた。
白萩も。
本堂(曇華殿)の前のベンチに座り、その映画は何だったか思いめぐらした。最初に浮かんだのは小津安二郎監督の初めてカラー作品である”彼岸花”だった。小津は浄智寺の裏に住んでいたし、映画の題名からして彼岸花が出てくることは間違いない。ご近所の浄智寺をロケ地に使うことは十分ありそうなことだ。スマホでぼくの過去ブログを調べてみると、映画”彼岸花”のことはいくつも出てくるが、ロケシーンのことは出てこない。さてと、次のターゲットにしたのは山田洋治監督の作品だ。山田監督は大船撮影所の跡地に建てられた鎌倉芸術館によく講演に来られ、数回、お話を聞いている。小津監督を尊敬しオマージュ作品も作っている。そして、とうとう見つけた。やはり山田監督の作品で、(忘れるはず、だいぶ前)2006年の作品で”武士の一分”という映画だった。
当時のブログ(武士の一分/ジーンときたでがんす)によると、”年末の由紀さおりディナーショーで同じテーブルに居合わせた、北鎌倉のご夫婦から、この映画に関するこんな情報を得ていました。お彼岸のお参りのロケが北鎌倉の浄智寺で行われているのを偶然みかけ、参道に、たくさんの本物ではない、造花の彼岸花が咲いていたというのです。すでに映画も観ておられ、本物の彼岸花のようにみえました”と。ぼくもそのあと映画を見て確認した。下級武士の三村新之丞(木村拓哉)の妻、加世(檀れい)がお彼岸のお墓参りに行き、彼岸花の参道でお坊さんと話しをしているシーンだった。
季節外れだったので造花の彼岸花を使ったのか、それともお彼岸の頃なのに彼岸花が咲いていなかったのか、いずれにしても、ぼくは浄智寺の石段脇で彼岸花を見た記憶はない。いや境内でも覚えはない。ベンチでぐるりと首を回しても彼岸花は見当たらない。そうか、書院裏の庭園にはいつも草花がいっぱいだから、あそこにはあるかも知れないと立ち上がって、ふと後方に首を回したとき、藪の中に紅い花が。彼岸花が二本!見つけた!これで武士の一分がたった(?)。
本堂うしろの書院庭園は花盛りだったが、彼岸花はやはり一つもなかった。
左から、白芙蓉、花虎の尾、紫苑(しおん)と並ぶ。
今日の主役は初登場の紫苑。前回はまだ咲いていなかった。
もう満開になっている。
花虎の尾
次の主役は秋明菊。一輪だけ咲いていた。これもたくさんあるので満開時はすごい。
心たがやす。
竹林の道でイガグリを見つけた。
布袋さまの前に彼岸花が一株ほしい。
結局、浄智寺境内には彼岸花はあの二輪だけだった。映画では造花を使わざるを得ないか。
浄智寺裏の小津安二郎の旧居の入り口にも彼岸花はひとつもなかった。門は日本画家、小倉遊亀邸の門。小倉の表札がある。
小津安二郎と小倉遊亀の邸宅はこのトンネルの向こうにある。ここにも彼岸花はなかった。
山田洋次監督の「武士の一分」。ラストシーンは泣かせてくれました。ジーンときたでがんす。
妻を離縁し、時がたって、ある日、下男が、飯炊き女を雇っていいかと、(失明している)拓也に尋ねる。その夕方、その女が用意した食事を食べ終えた拓也。その女をここへ呼べと下男に。台所から女が現れる。そっと手をさしのべる拓也。・・・お前の料理の味を忘れるはずがないではないか、と優しく語りかける。・・・戻ってきてくれ・・・。壇、うれし涙で・・・でがんす、・・・でがんす、と言葉にならない。(感動のラストシーン、あちこちからすすり泣き)
【映画】武士の一分 予告
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!