気ままに

大船での気ままな生活日誌

浮世絵入門 in 山種美術館

2010-06-24 11:54:14 | Weblog


山種美術館が広尾に移ってから(広尾というより恵比寿という感じ;笑)の、新装山種、第5弾は、なんと浮世絵展だった。それも、広重の東海道五拾三次がすべてみられるという。MOAでみてきたばかりだが、広重フアンとしては、うれしい企画で、いかねばならぬ、いかねばならぬのだ、(赤穂浪士の三波春夫調で)。

MOAのも保永堂版だったが、ここのもそれ。とにかく、当時一番の版元だったのだろう。五拾三次はひとそろい画帖として売られていたそうで、今回の展示にはその画帖装の扉に用いられた、保永堂の名前の入ったものも展示されていた。はじめてみた。もちろん初刷。初刷でないと現れない模様もあるそうで、たとえば、日本橋・朝の景の雲なんかもそれに当たるらしい。で、目にやきつけてきた。脳には焼きつけられなかったので、すぐ忘れるだろう(汗)。”忘却とは 忘れ去る事なり”あたりまえじゃないか。

日本橋から、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢(遊行寺)、平塚、大磯、小田原、箱根と、ぼくがすべて歩いた宿場町がみんなあるのだから、うれしい。三島から先は今後の楽しみにとってある。二、三泊しながら歩いてみよう。とくに名作”夜の雪”の蒲原あたりは今はどうなっているのか楽しみだ。”白雨”の庄野もいいな。たぶん、どちらも、がっかりするようなところだろう、都市景観はどんどん悪くなるばかりだ。車を発明した奴をうらみたい(爆)。科学技術の発展も考えようによっては、”後退”だ。原子物理学も、基礎だけでよかった。原子力など軍事にも、平和利用にも使うべきでなかったし、分子生物学もワトソンクリックで止めておけばよかった。アホ・サピエンスは悪知恵しかはたらかないのだ。

よけいなことを言ってしまった(汗)。広重の五拾三次以外の作品として”大はしたけの夕立”もある。それに、北斎の”赤富士”も。鈴木春信の”おせんちゃん”がなく残念だったが(汗)、”梅の枝折り”、とか、”柿の実取り”とかがみられた(春信はこういう題材が好きなようだな)。そして、歌麿の、”青楼七小町 鶴屋内 篠原”、写楽の”二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉”と、”三代目坂田半五郎の藤川水右衛門”、豊国の”高らいや 三代目市川高麗蔵の千崎弥五郎”など、名作も。

そして、さいごは、第二会場。美人画勢揃い。松園さんの”春のよそをい”を始め、深水、春草、小早川清、片岡球子の作品。球子さんのを除いて(爆)、あとはみな、うっとりするような美人だった。

次回は”江戸絵画への視線”。山種が1点だけ所蔵する岩佐又兵衛の”官女観菊図”が重要文化財指定記念ということで、又兵衛フアンとしては、また”いかねばならぬ、いかねばならぬのだ”。MOAの又兵衛コレクションにはとても及ばないが、山種でも、次回メインに展示するということで、"浮世絵又兵衛"再評価の気運に拍車がかかることだろう。



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空よ

2010-06-23 20:48:59 | Weblog
今日もいい一日だった。
”龍馬伝”のお話しを根岸線の隣駅のホールで聞いて
帰りに、お茶の稽古のあったワイフと5時頃、待ち合わせて
大船の魚やさんの経営するおいしい回転ずし屋さんで
おつまみに、刺身一皿と、帆立て貝のバター焼きを注文し、
生ビールとお酒を2合ほどいただいて
気が大きくなって、大トロの寿司とか、高いお皿のものをいくつか
いただいて、ああいい気持ちだ、と外にでた。

ワイフは大船の仲通りの八百屋屋さんで買い物。
ぼくは、ふらりふらりと、家に帰る。

空を見上げると、西の空は紅い雲で
東の空は青い空で、
おまけに、まだ白いお月さま、まで出ていた。

こんな、なんでもない一日がとても幸せに感じるようになった。
もう、先が長くないのだろう。

空をみてたら、自然に、トワエモアの”空よ”をハミングしていた。
ノラ猫が目の前を横切ったので、内田百先生の”ノラや”を思い出して、
ついでに替え歌をつくって、歌っていた。




・・・・・
空よ

難波寛臣 作詞/作曲
トワエ・モア

空よ 水色の空よ
雲の上に 夢をのせて
空よ 私の心よ
想い出すの 幼い日を
故郷の野山で初めて芽ばえた
あどけない二人の 小さな愛
空よ 教えてほしいの
あの娘は今どこにいるの

故郷の野道で 堅く手をにぎった
あの頃の二人の 小さな愛

空よ 教えてほしいの
あの娘は今どこにいるの

。。。

ノラや

内田百先生代理人作詞

ノラや 灰色の猫よ
雲の上に 夢をのせて
ノラや 私の心よ
想い出すの おまえと出合った日を
故郷の野山で初めて芽ばえた
あどけない二人の 小さな愛
ノラよ 教えてほしいの
あまえは今どこにいるの

故郷の野道で 堅く手をにぎった
あの頃の二人の 小さな愛

ノラよ 教えてほしいの
おまえは今どこにいるの
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観じる民藝 in そごう横浜

2010-06-23 11:03:19 | Weblog


午前中、鎌倉女子大の公開講座”おくのほそ道”(二巡目;記憶力が衰えているので、また新たな気持ちで;汗)を受講してから、横浜へ出掛けた。そごう美術館で”観じる民藝”展をやっていて、いつかのぞいてみようと思っていたのだ。尾久彰三(おぎゅうしんぞう)コレクションの展示であった。尾久さんは、伯父さんが柳宗悦と共に民藝運動をしていた方で、子供のころから、おじさんと一緒に骨董屋さん巡りをしていて、就職先も駒場の日本民藝館の学芸員だった。こうして、生涯集めた、”民芸品”が横浜に集合しているのだ。

結論を先にいうと、なんともいえず、いいものばかりで、こころがほんわかした、というところだろうか。とにかく幅が広い、丹波焼、瀬戸や唐津などの古陶磁器もあれば、土器や埴輪が出てきたり、沖縄の漆器類がひょこと顔を出したり、江戸の、お土産屋さんで売っていたような大津絵、泥絵などが現れる。”シンプルな美”というテーマでは、なんと、針金で造った△のハンガーや鍋しき、土管まで出てきて驚かされる。でもみんな、それぞれ、うつくしい。

宗悦も好んだ朝鮮ものも、もちろんある。李朝の工芸品の数々、そして、中国の官窯ではなく、民窯の、日本人の注文でつくられた染付の陶磁器などもある。一方、石仏や仏塔等も展示されていて、石のねずみや狼がいて、とてもかわいらしかったし、野仏や道祖神もよかったな。自宅の玄関先の写真も展示されていたが、これらの石仏たちが木々の間に心地よさそうに居座っていた。いいご主人さまに巡り合えてよかったねと声をかけたくなった。

これらの作品には、国宝もなければ、重要文化財もない。骨董界の”庶民”であり、笠森おせんちゃん(汗)である。何気ないものから美を見出す、屋久さんの”眼力”には感心した。芭蕉の句もそうゆうところがある。

以下に、ちらしに載っていた、作品のいくつかを紹介するが、ぼくが一番気に入ったものは、そこには入っていない。それは、木彫狛犬(室町時代)で、宮崎の米良地区の神社の狛犬だったものだ。両腕で抱えると子犬を抱いているようだと、屋久さんの感想がのっていた。大きさも手ごろだし、目も可愛いし、えさ代もいらないし(爆)、加えて、永遠の命で、つらい別れもない。究極のペットだ。欲しくなったが売ってくれないだろう。こんど鎌倉や藤沢の骨董屋さんで捜してみよう。10万円くらいまでなら手をうとう

弥生式土器(肌がうつくしかった、スタイルもよかった)と貼付文壺(スペイン製、文様を楽しむために逆さに飾るとのこと)

阿弥陀三尊来迎図(鎌倉時代)と蓮池水禽図(室町時代)。屋久さん、お気に入りの一品。

さまざまなる民芸品


”屋久さんと友人たちとの語らいが日曜日ごと開かれていて、6月27日には、白洲信哉さん(白洲次郎・正子さんと小林秀雄さんの孫にあたる方)が出席します。そごう美術館に電話でお申し込みください。ぼくは、そごう美術館のまわしものではありませんが、これくらい宣伝すれば、次回の招待券くらいはくれるだろう。

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ぺプロビーチの帽子

2010-06-22 18:49:35 | Weblog
僕は帽子をなくす名人で、これまで、いくつも記念すべき野球帽を失っている。だから、最近散歩に出かけるときは百円ショップで買った野球帽をかぶるようにしている。先ごろ、石川遼くんが出場した、全米オープンが開催されたペブルビーチのギフトショップで買った、緑の野球帽はぼくの自慢の一点だった。10年ほど前、ワイフとサンフランシスコから100キロほど、うつくしい海岸線を走って、この名門ゴルフ場を見学したときは、当時、ヘボゴルフをしていたこともあり、感激したものだった。緑の芝、芝の向こうは太平洋の波が押し寄せる、水色の海、そしてカリフォルニアの青い空、それらの色が混じり合ったような、青緑色の帽子だった。

そんな大切な帽子を、ある夏の日、たぶん車中に置き忘れてしてしまったのだと思うのだけど、失くしてしまったのだ。

遼くんのゴルフをみながら、ワイフにそのことを話したら、あのとき、わたしはタオルを買ったけど、使いずらいのでどこかにしまってあるわと言う。ぼくは全然記憶になかった。早速、探し出してくれた。この木がたしかシンボルツリーだったと、文様をみてそう言った。ワイフは記憶力がよく、ガイドさんの話も憶えていた。日本のバブル時代に、この名門ゴルフ場も日本人の手に渡り、アメリカ人ががっかりしていたそうだ。その旅行のときは、もう、日本人の手から離れてしまっていたが。そういえば、あのころはハワイやニューヨークの米国の象徴ともいうべきビルやホテルが日本人の所有物になっていた。

石川遼くんもこの、海辺のうつくしい名門ゴルフ場をみて感激したそうである。はじめ2位で予選を通過し、応援していたが、7位からどんどん下がり、結局、33位に終わってしまった。彼もここで、お土産に緑の野球帽を買ったのだろうか(笑)。いつの日か、遼くんがペブルビーチで、優勝カップを高々とあげる姿をみてみたいものである。

ギフトショップで買ったタオル。1919年創立だから、すぐ100周年になる。

太平洋の波を横にみて、ドライバーで飛ばす遼くん。

ギフトショップで買った絵ハガキ

。。。

宮里藍ちゃんもすごいですね。米国ツアー、4勝目。そして、世界ランク1位。
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紫陽花街道をゆく 続編

2010-06-21 10:58:20 | Weblog
昨日は、長谷寺から成就院までの”紫陽花街道”について書いた。紫陽花だけに焦点をしぼって書いたが、今日はその他の見聞について書こうとおもっている。司馬遼太郎もこの辺りを歩き”街道をゆく/三浦半島記”で歴史的な事柄を記述している。ぼくは、ミーハー的な、かつ自己中心的な事柄を述べたい(笑)。

長谷寺の参道の、布地屋さんのお店の前のポスター。ぼくも毎朝みている”ゲゲゲの女房”。よくみると”衣装協力”とある。何故、長谷の?と思うけど、スタッフが近くに住んでいて付き合いがあるのかもしれないし、昭和30年代の衣装となると、東京では揃えないので、半分田舎の鎌倉当たりなら、ちょうどいいかと思って頼んだのかもしれない(笑)。ぼくは、20年生まれだから、30年代までの貧乏時代はよく知っているし、貸本屋でいつも本を借りていた。その後、漫画の月刊誌ができて、おもしろブック(白星くんが好きだった)や少年画報(赤胴鈴之助がすきだった、さゆりちゃんもこの頃から好きだった;汗)を買えるようになった。今日のテレビも、ちょうど、その日暮らしの貧乏生活をつづけている、水木しげる夫妻にも光が差し込むことなる月刊漫画誌時代がようやくやってきそうな時期に入った。それにしても、ゲゲゲの女房はりっぱな奥さんだな、うちの女房に爪の垢でも煎じて飲ませたい(爆)。

紫陽花街道途中に、ぼくの好きな30年代のような家があった。りっぱな家だった。ゲゲゲの女房も、”ゲゲゲの鬼太郎”が当たり、そのうち、こうゆう家に住むようになるのだろう。

御霊神社。司馬遼太郎のでは鎌倉権五郎の詳しい記述があるが、ぼくは境内におられた福禄寿さんであろうか(宝物館には本物がいらっしゃるので)、この方のお腹にドキン。実は最近、膨れてきたのだ(汗)。目標体重、66・6キロをずっと維持していて、一時は65.1キロまでいったのに、ちょっと半年ほど気を許したら、昨日、70キロの大台に逆戻り。また気を引き締めることにした。幸い背は170センチで縮んでいなかった(笑)。夜はお酒はやめないで、ご飯をやめることにした。昼食は麺類。あまりワイフに付き合わず、レストランにはなるべく行かないことにした。

影かと思って、踏もうとしたら、黒猫だった。ピタリとも動かない。死んでるのかとおもって、頭を触ったら、薄眼を開け、またネコんだ。神社仏閣の猫といういうのは本当に、度胸が座っている。この前、浄妙寺の猫なんか、仰向けでお腹をみせて寝ていた。こうゆうふうになりたいものだ。

成就院の境内が長蛇の列。お賽銭あげるのためかなと思ったら、その列は本堂前を曲がって、境内、真ん中にある縁結び不動明王像だった。雑誌にも取り上げられた、パワースポットなんだそうだ。そういえば、花菖蒲の明治神宮御苑の清正井もパワースポットで大人気、そこに行くには別料金をとっていた。ぼくは、ワイフがいる間は縁結びは必要ないし(爆)、気を入れてもらう気もないので、写真だけ撮った。


。。。

長谷寺の”浮船花菖蒲”。動いていました。

長谷寺の笹百合。 ささ(お酒)も、さ、小百合さま(どもった)も好きです。

成就院の夏椿。別名、シャラノキ(娑羅樹)。うちの近くの、ヒメシャラもよく咲いてます。


帰りに”坂の頂点にちかいあたりに、店が一軒、山肌に貼りつくようにして建っている。電車のように細長い建物で、店内には古時計やら陶器が置かれてあり、喫茶店でもある(司馬/街道をゆく)”その喫茶店で、アイスコーヒーを飲んだ。体重のことを考え、シロップは入れなかった。

腱鞘炎は直ってきたようです
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長谷寺、御霊神社、成就院 紫陽花情報

2010-06-20 17:06:59 | Weblog
梅雨の”雲間”で、そんなに暑くなく、ときおり吹く風はさわやかな薫風のよう。こんな日は、日曜日でも、紫陽花を観に行かねば、男がすたる、と出掛けた。鎌倉駅で駅そばを食べて、ふと、目についたポスター。鎌倉紫陽花情報だった。先を越されたと(笑)、地団太踏んだが、まあジミン党さんの消費税率を参考に考えさせてもらうといった、どこかのソーリ、ソーリもいるのだから、ぼくも、鎌倉市(あるいは鎌倉駅)の情報を参考にさせてもらった。ほとんどどのお寺も5分咲きという表示だった。でも、結果から言うと、そんなことはなかった、もう見頃といってよかった。



まず江ノ電で長谷へ。すごいヒトだが、いつか観た長蛇の列(御霊神社に向かう裏道までぐるりと)はない。すぐに入れた。整理券をもらって紫陽花山の前の立て札にびっくり。ぼくの番号は
271番で、1時間待ちとのこと。とほほ。

で、ぼくはすぐソーリのように頭を切り替えた。この山の一番の見どころは、輪蔵(まわり堂)から眺める(登山する人は上から観る)景色なのだ。そこさえみれば、十分と、そこだけを観た。どの紫陽花も青、紫、ピンクと華やかに妍を競っていた。ここのは明月院のと違って、種類が多いのだ。





十分堪能して、長谷寺の横道を通り、御霊神社に向かった。ここにも紫陽花小路があり、また目の前の江ノ電脇の紫陽花もなかなか風情があるのだ。




そして、人気の成就院へ。紫陽花の階段の向こうに由比ヶ浜がみえるという絶好のポジションにあるのだ。一時、台風かなにかで、すっかり落ちぶれていたが、もとの勢いを完全に取り戻した。見事な咲きっぷりだったし、遠方の由比ヶ浜もはっきりみえた。




というわけで、鎌倉の紫陽花はどこも見頃になりました。ぜひお見逃しなく。ご案内しますので、どうぞおいでください。大船駅南口でお待ちしております。帰りは刺身のうまい飲み屋にお連れします。支払いはもちろん、あなたです。
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明治神宮御苑の花菖蒲

2010-06-19 11:32:16 | Weblog

明治神宮御苑の花菖蒲の見物に行ってきた。見事に咲きそろっていた。出掛ける前、神宮御苑のホームページをみると、”6月17日(木)現在、5,386輪開花しました。見頃となりました!杜の中の花菖蒲をどうぞご堪能下さい。”とあった。ぼくらの行った18日には、さらに増えていたことだろう。

ヒトも花の数以上いた。でも花よりきれいなヒトはひとりもいなかった(爆)今回はトータルの花景色だけではなく、個々の花にも注意を払った。これもホームページからだが、日本画に描かれた花菖蒲の一覧が載せてあったので、その写真も撮ることにしたのだ。ワイフにも目を光らせてもらって、ほぼ、すべての花菖蒲をみつけた。さすが、画家がモデルに選ぶだけあって、うつくしい花ばかりだった。以下、美人たちをごらんください。

宇宙(おおぞら)と仙女洞(せんにょのほら)



鶴の毛衣(つるのけごろも)と都の巽(みやこのたつみ)


王昭君(おうしょうくん)と九十九髪(つくもがみ)


花菖蒲以外にもうれしい出会いがあった。

池の蓮が復活していた。うまくそだってね。

久しぶりにカワセミの姿をカメラでとらえることができた。


水面はぼくの心のように混沌としていた(爆)


そのあと、根津美術館と山種美術館に寄って、帰った。とても良かった。そのうち、紹介しますね。腱鞘炎が直ったら。

今日のオランダ戦、楽しみですね。
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腱鞘炎かな

2010-06-18 06:39:03 | Weblog
一週間ほど前から右腕が痛い。始終痛いというのではなく、押すと鈍痛がする程度である。ネットでしらべたら、どうも腱鞘炎らしい。パソコンをよく使う職業の人に多いらしい。ぼくは、無職だけど、ブログを始めてからよくパソコンを使う。そういえば、思い当たるふしもある。ここ一月、朝夕2本を目標に、がんばってきた(汗)。それが、腕を酷使したことになったのかもしれない。

治療法は安静だという。だから右手を休ませ、今も左手でうっている。しばらく、1日1本、文章も短め、サウスポーで行こうと思う。今日は明治神宮御苑の花菖蒲を観にゆく予定だ。

ご近所の紫陽花






ヒメシャラも腱鞘炎になったらしく、花の数が少なくなった。

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野毛山動物公園物語

2010-06-17 08:33:24 | Weblog
JR桜木町駅から歩いて15分くらいのところに野毛山公園があります。横浜開港後、生糸輸出で財をなした茂木惣兵衛や原善三郎らの邸宅があったところで、現在は動物園を中心にした公園となっています。横浜市立中央図書館が、この山の下にあり、昨日も図書館帰りに、公園で遊んできました。キリンの赤ちゃんが生まれたというニュースを新聞で知ったからです。赤ちゃん誕生以外にも、この山にはいろいろの物語がありましたので、紹介したいと思います。


第1章 キリンの赤ちゃん誕生物語

まず、キリンの檻にかけつけました。いたいた2匹のキリンさんが。あれ、もうこんなに大きくなったのかな、と近づいてみると・・・ご夫婦でした。お父さんは沖縄の動物園出身でテビチくん、お母さんは長崎の動物園からきたマリンさんです。

子供はいないはずです。まだ赤ちゃんなので、1日に30分だけ、外に出てくるそうです。ぼくが行ったときにはもう、終わっていました。こんどは、展示時間を聞いてから来よう。もう、人の大人の背より大きくなっているようです。

日記帳もつけているそうです。5月25日生まれです。うちのワイフも5月生まれです。5月生まれは才色兼備が多いそうです。


第2章 ラクダのお婆ちゃん物語

フタコブラクダのお婆ちゃんにも感動しました。34歳ですが、人間でいうと100歳になります。だから、いつも昼寝ばかりしているそうです。でもぼくが訪ねたときは目をぱっちり開けてくれました。青森から来た、ツガル婆ちゃんです。人気者で、いつも来ているらしい娘さんが、お婆ちゃん、元気でね、また来るね、と声をかけて立ち去って行きました。お婆ちゃんも、分かってるらしく、その娘さんの後ろ姿をみつめていました。



このお婆ちゃんはすごいんですよ。”日本動物大賞/功労動物賞”を受賞してるんです。受賞理由は、前脚の関節を患らいながら、命を全うする姿が、高齢化社会になっている現在、みんなに元気を与えてくれることが評価された、ということだそうです。ツガル婆ちゃん、がんばってね。


第3章 もっともっと自由でなきゃ物語

團伊玖磨だったか、どなたかのエッセイ集の題名に”もっともっと自由でなきゃ”というのがあって、その言葉がとても気に入っていました。今でも、そう思っています(これ以上、自由になってどうする、の声も)。だから、本当のこと言うと、ぼくは動物園にいる動物たちも”もっともっと自由”にしてあげなければと思っています。そんなことを思っていると、なんと白孔雀が道を歩いているではありませんか。

自由にあちこち歩き回り、楽しそうでした。


第4章 はやぶさ物語



するどい、理知的な目。空を飛べば、獲物を追って、疾風のごとく。7年間、60億キロメートルの旅を終え、大気圏再突入し、本体は大気圏で燃え尽きて、しかし、しっかりと貴重な惑星イトカワの土か石を含む可能性のある、カプセルは無事、地球上に送り届けた。感動を与えてくれた、ハヤブサ号でした。
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梅雨の晴れ間 円覚寺

2010-06-16 19:13:44 | Weblog
今日はふたりで明治神宮御苑の花菖蒲を観にゆく予定だった。しかし、朝から雨だし、午後も時折強い雨もという予報だったので、止めることにした。ところが、予想は大外れ、雨が上がると、そのあと、ずっと晴れていて、梅雨に入ったばかりで、こう言うのも気がひけるけど、”梅雨の晴れ間”の一日だった。

で、今日は午後から逗子の図書館で遊んで(念のため傘をもって)、帰りみち、4時頃、北鎌倉で降りて円覚寺に寄った。紫陽花もけっこうあるし、緑もいっぱい、それに、この時間になると、境内は閑散としていて、とてもいい気分で、1時間ほどすごすことができた。

堂々たる山門。漱石の”門”もこれである。関係ないけど、小町通りに”門”という喫茶店もある。これも関係ないけど、ぼくは駅前のルノアールをよく利用する。これもさらに、関係ないけどルノアールの描く裸婦はどうしてみんなデブなのだろうか(爆)。


円覚寺にも紫陽花があちらこちらに咲いていて、結構楽しませてくれる。



黄梅院前の白い紫陽花も、清々しかった。

庭園の苔の緑も、清々しかった。

黄梅院門前のお言葉も、清々しかった。


降りてくる途中、岩陰に岩たばこの花をみつけた。いくつか、水上に浮かぶ花をみつけた。諸行無常のひびきがきこえた。


青葉繁れる木々もあった。



山門を出て、ふとふりむくと、今年の円覚寺夏季講座の案内板があった。毎年、受講しているが、今年は旅行の計画があり行けない。去年は小泉純一郎さんも話されたが、その日、急遽、衆議院の解散があり、国会議員として最後の講演となった。講演を短縮してあわてて国会に向かったが、交通渋滞で、最後の国会に出席出来なかったとか。今年は野中広務さんの話が面白そうだ。”加藤の乱”とか”毒まんじゅう”とか”ひれ伏してでも”とか”官房機密費”とか、面白い話が出るかもしれない。でも、お寺の講話にはふさわしくないかな。

足立大進管長さんも、いつも、ユーモアある、心に残る、いいお話しをしてくださった。今年から新しい方に変わった。筑波大出身の40代の若い管長さんだそうだ。ご講話を伺ってみたかったが、残念だ。来年はぜひ、都合を合わせよう。


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