気ままに

大船での気ままな生活日誌

荏柄天神社本殿は八幡宮・若宮旧本殿だった

2015-10-16 09:55:45 | Weblog

松崎先生の”建築学講座/鎌倉と横浜の建築再発見”の第1回を聞いて、もう午後4時になっていたが、鎌倉駅に向かった。講義の中で、荏柄天神社本殿が、実は鶴岡八幡宮の若宮旧本殿を移築したものと知ったから。早速、実地検分をしようと出掛けたのだ(汗)。電車もバスも連絡がすいすい行って、閉門(4時半)前に天神社に到着した。

徳川二代将軍秀忠が、寛永元年(1624)に鶴岡八幡宮・若宮の社殿造営を行ったのだが、そのとき、若宮の旧本殿を移築して天神社を再興したのだそうだ。若宮は正和5年(1315)再建のものだから、室町時代の主要社殿様式を伝える貴重な例なのだそうだ。国の重要文化財である。

そんなエライ社殿とはつゆ知らず、ごめんなさいと天神社を見上げた。

西側からみる

東側からみる

形式は三間社流造 ,屋根は銅板葺、内部は小組格天井とし,内法長押上の小壁に横連子を入れる、ということだ。

秋の日はつるべ落とし。もう夕陽が落ちようとしていた。手前は境内の大いちょう。ぼくが出ると、すぐ門が閉められた。

そして、暗くなる前に八幡宮へ急ぐ。石段手前の若宮。前述のように、秀忠が、寛永元年(1624)に造営。五間流造の本殿と桁行4間・梁間3間からなる幣殿、そして桁行3間・梁間2間の入母屋造の拝殿から構成されるとのこと。重要文化財。


石段の上は、八幡宮・上宮本殿。これは文政4年(1821)の火災で焼失後、文政11年(1828)に十一代将軍家斉によって再建されたもの。本殿九間社流造による権現造。これも重要文化財。

建築用語のむづかしいことは分からないが、一応、その日の内に検分でき、なんとなく、わかったような気になった(汗)。

そうそう、八幡さま境内の、日本で最初の公立美術館である神奈川県立近代美術館。坂倉準三設計の名建築として知られる。坂倉の師匠ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館の七年前である。取り壊しの危機にあったが、建物は保存されることが、最近、決まった。ほっ!

鎌倉駅に着いたときは、もう、すっかり日は暮れていた。講義にも、この駅舎の設計者の名前が出ていたのだけど、忘れてしまった。

この写真で〆ると、おやすみなさい、ですが、今は朝!今日も一日、お元気で!どんまいどんまい!

 

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生命大躍進/脊椎動物のたどった道

2015-10-15 11:01:09 | Weblog

科博の”生命大躍進展”。一度、覗いてみようと思っていたが、とうとう最終日(10月4日)になってしまった。日曜日のこともあり、大変な混雑。入場まで30分待ちとの案内。ぼくの科博・展覧会歴では、はじめてかもしれない。

この展覧会は、生命が約40億年前に誕生して、その後の生命の進化の物語である。めったに見ることのできない貴重な実物化石や精巧な復元模型の展示品、4K映像などを見ながら、脊椎動物、そして人類への進化の跡を辿っていくのである。

撮影可能ではあったが、大混雑のこともあり、十分、目的とするものを撮れなかった。で、ずるをして、ここでは、ちらしの写真を借用しながら、展覧会の全体像を紹介しようと思う。

次のような章立てである。


プロローグ 40億年~5・4億年
まず、37億年前の”地球最古の生命の痕跡”の化石が迎えてくれる。東北大学がコペンハーゲン大学との共同研究で、グリーンランドで発見したもの。岩石の顕微鏡写真もあり、生命の痕跡とされる炭素が黒い層として残っているのがわかる↓。

第1章 カンブリア大爆発 5・4億年~4・3億年 
カンブリア紀に入って、突然奇妙な生物たちが大量に現れた。その中でも、5億800万年前の、200種にも上るバージェス頁岩(けつがん)動物群は生物が爆発的に多様化し、現生生物の直接的な祖先がほとんど出揃った“カンブリア大爆発”を示す化石群として知られている。ここでは、その38点が展示されている。とくに、原始的な脊索動物ピカイア、カンブリア紀最強の捕食者アノマロカリス(2m長のエビ)が見所。

第2章 海から陸へ 4・3億年~2・5億年
最初の脊椎動物、魚たちは顎を獲得し、胸鰭などの発達で、どんどん魚らしくなっていく。その中から両生類が生まれ、さらに、陸上で生まれ、育つ爬虫類が登場する。ここでは、史上最大の節足動物、ウミサソリが登場。

第3章 哺乳類の出現と多様化 3億年~2300万年 
ペルム紀から三畳紀前期にかけて、哺乳類の祖先となる原始的な単弓類が繁栄。三畳紀後期に恐竜が出現、地上を支配するが、同時に哺乳類も出現する。2011年中国で発見された最古の哺乳類、ジェラマイア(ネズミのような)の化石が目玉。

第4章 人類への道 6600万年~現在 
恐竜の絶滅後、進化を遂げたのが哺乳動物。そして、霊長類が出現。700万年前以降に2本足歩行のグループが現れ、アフリカでさまざまな種に分化し、20万年ほど前に、ホモ・サピエンスが誕生する。そして、6万年前頃にアフリカを出て、世界に向けて旅立ち、現在に至る。ここの見所は、2009年に論文発表された、胃の内容物までみえ、ほとんどの骨格が残る霊長類化石”イーダ”。そして、猿人から人類までの頭骨化石がずらり。

 

イーダの化石

タンザニアのラエトリ遺跡で見つかった、360万年前の人類(アファール猿人)最古の”足跡”のレプリカと3人の家族がここにも来ていました。ぼくらは足跡を踏んで歩くことができる。

ネアンデルタール人の遺伝子が現生人類にも入っていて、”別種”とされているが、交雑もしている。アフリカ人を除く全ての現生人類は、ネアンデルタール人の遺伝子を平均で2%持っていることがゲノム解析で分かった。ほとんど現生人類と変わらない容貌ではないかと言われるようになった。


エピローグ 受け継がれたDNA
生物の進化は、DNA抜きには語れない。祖先からのDNAを増幅させて異なる用途に利用したり、違う目的に転用したりして、姿を変え、環境への適応をなし遂げてきた。

と、ざっと紹介させていただいた。あと、少し付け加えたいのは、生物種の大量絶滅事件のこと。以下のパネルのように、生命誕生から5回の絶滅事件があったという。

とくに、ベルム紀末の大量絶滅はすさまじかった。2億5200万年前の、気候変動か大噴火によるものか詳細は不明だが、何と9割以上の生物種が姿を消したそうだ。

そして、驚くべきことのは、現代が六番目の絶滅期だという説があるとのこと。それも、わが人類による急激な環境破壊により、生物種が大量に絶滅しつつあるというのだ。同時に、われわれ人類も絶滅に向かっているのは確かなことだが。

もう一度、ゆっくりとみたい展覧会だったが、もう終わってしまった。

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平塚馬入のコスモス畑 あっ!とおどろく五郎丸

2015-10-15 07:59:10 | Weblog

おはようございます。昨日は、平塚の馬入ふれあい公園のコスモス畑に行ってきました。この土曜日に摘み取りイベントがあるというので、もう、見頃を過ぎているのかと思ったら、そんなことはなかった。満開です!素晴らしいの一言。

馬入川(相模川)河畔のお花畑。 3月下旬の菜の花 、4月上旬のチューリップ、 4月中旬の芝桜、5月中旬のポピー 、そして10月にはコスモス と一年中、楽しましてくれる。ぼくはポピーとコスモスのときに、何度か訪ねている。

バス停から歩いて5分、河畔に到着。さあ、どうか。わくわくどきどき。

土手をのぼると、あっ!とおどろく五郎丸!むかしは為五郎でしたが・・・

す、すごい。あまりのすごさに声が出ない。コスモス畑はこれでなくてはいけない。五分咲きくらいでは、あっ!と驚けない二郎丸くらい・・・これで、ここまで来た甲斐があった。素晴らしい!

赤、ピンク、白に黄色も。ポニーという品種らしい。

大満足して、あとは、コスモス畑の向こうの”トトロの森”へ。正式名は馬入水辺の楽校。自然がいっぱい。

いきなり、雉が飛び出してきたのにはびっくり!すぐカメラを向けたが、何とか捉えていた。牝の雉(矢印)。綺麗な雄もいるはずと探したが、それは見つからなかった。

バッタもあちこちから飛び出してくる。三種類は見た。そのうち、二種のバッタを撮影することができた。案内板をみると、トノサマバッタ、ショウリョウバッタ、マダラバッタがみられると書いてあった。あてはめてみると。

トノサマバッタ


ショウリョウバッタ

そうそう、大きなサワガニが小路を横切っていたのにも驚いた。写真を撮ろうとしたが、すばしっこく、薮の中へ。すぐ近くにトンボ池もある。そこが棲家かな。蝶々も数種類。自然がいっぱい。ほんとにぼくが子供の頃、駆け回った武蔵野みたい。

アカマンマもいっぱい。

ほんとにトトロの森に迷い込んだみたいだった。馬入川に出てみる。馬入橋の落成式に出席した頼朝が馬から転げ落ち、それが原因でなくなったという。

さて、また、こすもす畑を抜けて帰りませう。今度は個々の花をみましょうか。

あっ!と驚く五郎丸ポーズ!黒い指サックもしているし!


すばらしいコスモス畑でした。元気なら、また、来年も来るゾ!

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ベートーベンと雪岱と菊五郎と五郎丸

2015-10-14 08:45:19 | Weblog

今日もまた、気ままな一日だった(汗)。午前中、近くの大学の公開講座(音楽史)でベートーベンの交響曲第1番を聞いて、午後は銀座まで出て、三越で小村雪岱展をみた。そして、ふらりと歌舞伎座へ。ちょうど、菊五郎と玉三郎が出ている人情噺文七元結が始まる少し前だった。幕見も立ち見になるがOKということで、これ幸いと入場した。一日で音楽、美術そして歌舞伎をちょっとづつ楽しむことができた。帰宅すると、今度はスポーツ。どのニュース番組も、五郎丸、五郎丸と大騒ぎ。とても、バランスのいい(?)一日だった。

感想もちょっとずつ。

ベートーベン

交響曲第1番の指揮はカラヤン。若いときで貴公子のようだった。
毎朝5時半から朝食まで勉強すること。(ベートーベンの言葉)
森の全能なるものよ!私は森の中にいると、歓びにあふれ、幸福です(これもベートーベンの言葉)

小村雪岱

初見の挿絵の原画がいっぱい。

矢田挿雲 ”忠臣蔵” 四十七士の顔を描き分けるために赤穂の花岳寺の木像を参考にしたという。男は背中で語る雪岱風。静けさ漂う雪景色のロングショット。

吉川英治 ”遊戯菩薩” 昭和10年、サンデー毎日に連載。美貌の元僧侶和平が雪岱風に。

里見 ”闇に開く窓” 昭和4年、大阪毎日新聞に連載。鎌倉に住む実業家家族の物語。見慣れた雪岱美人とは違う目元ぱっちりの美人や洋服の男が登場。

そのほかに、仏画のデッサンが少々。みないい値段がついている。また、雪岱装幀の本二冊。”源氏と平家”など。

こうした小さな展覧会でも、雪岱フアンにはうれしいもの。最終日、滑り込みセーフ。そろそろ日本橋三越で森田りえ子展も始まる。見逃がさないようにしなければ。

菊五郎&玉三郎 ”人情噺文七元結”

左官長兵衛 菊五郎
女房お兼 時 蔵
鳶頭伊兵衛 松 緑
和泉屋手代文七 梅 枝
娘お久 尾上右近
角海老手代藤助 團 蔵
和泉屋清兵衛 左團次
角海老女将お駒 玉三郎

円朝師匠が創作した落語でお馴染みの演目。博打好きの長兵衛(菊五郎)、借金だらけで、年が越せない。いつも女房のお兼とお金のことで喧嘩している。さて、今日は娘のお久が見当たらない。大騒ぎしていると、娘は吉原に身を売ろうとしている。その金で借金を返し、父親に快心してもらおうと思う。孝行娘の行動に角海老の女将(玉三郎)が感心し、お久はしばらく自分の身の回りの世話をしてもらうだけにするからと、返金を条件に50両を長兵衛に渡す。ありがたいありがたいと懐に50両を入れ、帰宅途中、川に身投げをしようとする和泉屋手代の文七(梅枝)に出会う。大事なお店のお金、50両をすられてしまったという。さて、これからどうなるか、知りたい方は1400円払って、幕見をどうぞ。落語を歌舞伎化しただけに、落語調の人情噺劇。お天道さまはみている、めでたしめでたしの結末。夜の部、玉三郎の阿古屋もみてみたい。ぼくの遊びの神さま、連れってて。

菊五郎とくれば、五郎丸 五郎丸、昨晩は各局ニュース番組巡りの大活躍でしたね。

五郎丸ポーズ

円朝師匠も五郎丸ポーズ

明月院のリスくんも五郎丸ポーズ

では、みなさん、今日も1日、お元気で! 

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初化粧の富士山は江の島で

2015-10-13 09:24:00 | Weblog

おはようございます。今日の朝散歩で初化粧の富士山をみることができました。昨日も江ノ島で見たんですよ。

10月に入ってから、天気のよい日は、毎日、富士山を観察していた。初冠雪をどのマスコミよりも早く、本ブログで報告することに命を掛けていたのデアル(汗)。初冠雪が10月11日にあったことを、甲府地方気象台の職員が目視で確認した、というニュースが入り、地団駄をふんだ。その日の朝は、大船は曇天でとても目視できる状況になかったのだ。勝負は時の運ということを身に沁みた瞬間であった(爆)。

さて、昨日12日は良く晴れ渡り、今日こそはと早朝、西空を眺めるも、雲隠れ。またも初化粧の富士見はお預け。でも、そのチャンスは昼に巡ってきた。そして、その場所は、前々日、夕景富士を眺めたばかり江の島で!ちょうど、その日の午後、藤沢で友人のマンドリン演奏会があったので、その前にちょっと寄ってきたのだ。

今年、はじめてみる初冠雪の富士山。目を凝らしてください(笑)頂上部に冠雪が。

目が慣れてきたでしょうか。二隻のボートの上を辿ってください。肉眼では、もう少しだけ、はっきりしていますが。

水上オートバイの隊列が富士を目指す

今朝も、近くの高台の青木神社から、初化粧の富士山がみえましたよ。これも、目を凝らさなければみえないかも(笑)。

目を凝らさなくてもはっきり見える狛犬。黄金の目と朱色の口。

朝日の当たるベンチ

そうそう、ツワブキの初花もみましたよ。

今日も遊びの予定がいっぱい。午前はベートーベンさん、午後は小村雪岱さん。では、行ってきまぁす

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遊行寺にて 国宝一遍聖絵

2015-10-12 10:41:29 | Weblog

藤沢の遊行寺で、国宝・一遍聖絵展が始まったというので、初日(10月10日)に出掛けてきた。藤沢駅から遊行通りを抜けて、10分も歩くと、時宗総本山、遊行寺がある。本堂の前の、一遍上人(遊行上人)が迎えてくれる。

この時宗宗祖・一遍上人の生涯を描いた絵巻、国宝”一遍聖絵”全12巻が、リニューアルオープンした遊行寺宝物館で一挙、公開されている。

”聖絵”12巻、すべてが遊行寺にあるわけではなく、そのうち、第七巻は東博が国宝として保存している。そのため、ここでは七巻だけは、江戸時代の摸本の展示となっている。また、第六巻の第一段は断簡として切り取られ、掛幅装(重文)として個人蔵となっているが、これも、ここに展示されている。

”聖絵”は2002年に修理後、京都と奈良の国立博物館で展示されたが、遊行寺で、このような全巻展示は、はじめてで、今後もないだろうとのこと。この展覧会のあと、11月から、金沢文庫で二、三、八、九巻を、神奈川歴史博物館で、四、五、六、十巻を、遊行寺では、一、七、十一、十二巻の展示となる。同時に、東博でも前述の第七巻と関連展示がある。

従って、全巻を一挙にみることができるのは、遊行寺だけで、それも、11月中旬まで。しかし、全巻がすべて拡げられているのではなく、各巻の一部だけ(場面の展示替えはある)の展示である。MOA美術館の岩佐又兵衛絵巻のように、ほぼ全部が拡げられ、それぞれの場面の説明があるというなことはしていないし、展示場の広さからいって、とても無理。今回は、全体の雰囲気を知って、さらに、11月以降の各館の展示で、ゆっくり鑑賞するというのがいいかもしれない。ぼくも全館廻るつもり。そのため、いつもは買わない(笑)、図録を購入した。

感想文は、このあと、3+1館を巡りながら、ゆっくりと書こうかと思っています。

ここでは、第十二巻の第二段、一遍上人ご臨終の場面と第六巻第一段江ノ島断簡を載せておきます。大勢の人物描写が素晴らしいですね。

十二巻(第2段) 一遍上人ご臨終の場面

中央部拡大

第六巻第一段 江ノ島断簡

右下部拡大

聖絵を納める箱も展示されている。三巻ずつ並べて重ねるようになっている。

これらの品々も展示されている。
重文 絹本著色 一遍聖絵 江之島断簡 正安元年(1299)
神奈川県重文 絹本着色 一遍上人像 南北朝時代
神奈川県重文 絹本着色 一遍上人像 南北朝時代
神奈川県重文 紙本墨画淡彩 一遍上人像 室町時代
神奈川県重文 紙本着色 一遍上人縁起絵 第一巻 室町時代
神奈川県重文 絹本着色 二河白道図 南北朝時代
重要美術品 紙本金字色紙金字 阿弥陀経(蝶鳥経) 平安時代
重文 紙本墨書 六時居讃 南北朝時代
重文紙本墨書 安食問答 他阿真教筆 正和三年九月九日(1314) 鎌倉時代

せっかく遊行寺に来られたら、是非、ここもお寄りください。小栗判官と照手姫のお墓があります。この夏、三の丸尚蔵館の”絵巻を愉しむ/をくり絵巻を中心に”展で、をぐり(小栗判官絵巻)をみられた方も多いと思います。絵巻の主人公たちがここで眠っています。

小栗判官と十勇士の墓

照手姫の墓

名馬、鬼鹿毛(おにかげ)の墓


ちょっと説明を、以前のブログ記事から

ここでは、遊行かぶき等の説経節おぐりではなく、”小栗略縁起”を基にした内容が紹介されている。”史実”である。室町時代、足利持氏に謀反の疑いをかけられた常陸の国の小栗判官と家臣10人が、一族の住む三河に落ちのびる途中、藤沢宿近くの豪族、横山大膳邸に身を寄せる。しかし、大膳は彼らから金品を奪おうと、人喰い馬、鬼鹿毛(おにかげ)をしかけるが、乗りこなされる。次には毒入り酒を飲まされようとするが、事前に妓女、照手姫から聞いていて拒むが強要され、毒殺され、上野ヶ原(藤沢市)に投げ捨てられる。しかし、判官は閻魔大王の慈悲と夢告に現れた大空上人により蘇生。土車に乗せられて、熊野の湯の峰温泉へ送られる。つぼ湯で湯治し、復活した判官は、謀反の疑いを晴らしたあと、横山を成敗し、照手姫と再会。その後、仲良く暮らす。子息が遊行寺の池の畔に、父と十勇士の墓を建てる。照手姫は尼になり菩提供養した

 

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五郎丸ジャパン、三勝 W杯記憶遺産に

2015-10-12 08:54:16 | Weblog

おはようございます。すがすがしい朝を迎えました。

今朝、5時に起き、テレビをつけると、後半戦に入っていた。米国に12点差をつけてリード。よし、これなら、リーグ3勝いくぞ!と、うきうきして観戦。さらにリードしたが、一時、米国にトライを決められ、一桁台の差に詰められた。しかし、これを突き放したのが五郎丸だった。PGをきっちり決めて、また10点差に引き戻した。これを守りきり、ついに念願の3勝へ!

これまでのW杯で、たった1勝しかしていないのに、この大会だけで3勝も!歴史的快挙となった。さらに、W杯新記録も生まれた3勝しても決勝トーナメントに進めなかったことは、史上初だそうだ空前絶後の大記録!準々決勝へ進んで負けるよりも、はるかに記憶に残る!W杯記憶遺産に申請したい。

五郎丸は、2ゴール、3PGで13得点。日本の勝利に貢献し、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたとのこと。おめでとうございます。また、4試合で、合計58点も。一時は得点王だった。

有終の美を飾ってくれた、素晴らしい試合だった。よくやった五郎丸。

ここに富士山の初冠雪の写真が載せられば、最高の祝意を示せるのだが、残念ながら、今朝、雲隠れしていた。
その代り、昇竜のような雲が空いっぱいに拡がっていたので、それを、五郎丸ジャパンのさらなる飛躍を祈念して、載せることとした。

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ジャズを聞きながら、美術展と文学展 ヨコハマで

2015-10-11 20:51:36 | Weblog

おばんです。今日は、ヨコハマでジャズを聞きながら、美術展と文学展をみるという、とてもバランスのいい(笑)、一日をすごしました。

横浜は昨日、今日と街中、ジャズだらけ。Jazz Promenarde/今も昔もジャズは横浜 2015! 有料のコンサートが10近くのホール、30ほどのジャズクラブで演奏されるほか、無料の街角ライブがあちこちで開かれている。ぼくは、いつも街角派。三、四か所で聞いた。

そのうちの一つ、みなとみらいのクイーンズサークルでの演奏。

馬車道駅構内でも。

そして、馬車道駅近くの神奈川県立歴史博物館で”没後100年 五姓田義松展”。二度目だが、今日、NHKの日曜美術館で放映されたせいか、前回とは客足が全然違う。待遇も違う!歴博の営業部長が出迎えてくれた。

今回は、さあっとみるつもりが、結構、じっくりみてしまった。シニアはたった100円なのがうれしい。また来たい(汗)。感想文もそろそろ書かねばね。

歴博入口のステンドグラス。これが有名だよ、と守衛さんが言うもんだから撮ったのサ。

そして、みなとみらい線に乗って、元町へ。そこからカナブンへ。カナブン(神奈川近代文学館)では、生誕140年/柳田國男展。これが、また良かった。遠野物語の妖怪やカッパの話をじっくり読んでいたら、すぐ、1,2時間たってしまう。

日本人を戦慄せしめよ!が副題。戦慄したゼヨ。感想文はのちほど。どんと晴れ。

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成川美術館にて 日本画と富士と

2015-10-11 07:20:28 | Weblog

おはようございます。昨夜のラグビー、残念でしたね。大接戦でサモア勝利ならず。これで、五郎丸ジャパンの決勝トーナメント進出は不可能に。タブレットで、1分ごと更新の速報をみてたんですよ(汗)。さて、今朝は、箱根の話題で。

仙石原のすすき草原を歩いたあとは、芦ノ湖まで降り、海賊船に乗って、元箱根港へ。客足は、大涌谷周辺の火山活動による規制直後よりだいぶ復活してきて、船内は団体客で賑わっていた。

元箱根港からみる富士山と海賊船

高台にある成川美術館からも同じ風景がみえる

うっとりするのは富士山だけではない。日本画の美術展がいくつも。どれも、これも、うっとり。

まずは”人物を描く”展。

正面には、玉三郎の”夕霧”を描いた屏風が。堀泰明の作。昭和16年、京都市生まれ。

安田育代の母子像もすばらしい。子供を抱いた母親のシリーズが5,6点。昭和24年、大阪市生まれ。石本正(この9月に95歳で他界)は、舞妓はんが二点、そして、森田りえ子作品も!5月に来たときは花の絵だったが、今回は人物画がふたつ。”Sun barn”は、肩をすっぽり出した衣装のお嬢さん。肌に日焼けのあとが残っている。”Fur”は黒い毛皮のついたハイネックドレス姿のヒョウの目をしたようなお嬢さん。りえ子さんは、昭和30年の神戸市生まれ。こうしてみると、関西生まれの方が多い。その他、平山郁夫、高山辰雄ら大御所の作品も。

そして、前本利彦展/透明な花の輝き

日本画の岩彩の美しさを極限まで引き出す名手との評。昭和23年、北海道生まれ。”白い犬”、”凌霄花”。”白い月”は月と花と裸婦が三段に描かれる。

齋 正機 第2回新作個展~帰り道シリーズ~
ほのぼのとして、懐かしい風景。こどもがいる”帰り道シリーズ”。1966年、福島県生まれ。機関士だった父の思い出である汽車や、郷愁を感じさせる山里などを主なモチーフにしているとのこと。

日本画の煌き~代表作を選抜して展示~
平山郁夫、加山又造、杉山寧、高山辰雄、山本丘人、吉田善彦、堀文子、牧進、黒光茂明、柳沢正人、松本勝の作品。

加山又造の”猫”。シャムネコと牡丹

堀文子のトスカーナの花野

すすき草原を見て、日本画をみて、とても楽しい箱根散策だった。帰りに、小田原でお刺身を。これで、1000円しない。おいしいし。お酒もつい、もう一本、お願いします(汗)。

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箱根湿生花園 10月中旬

2015-10-10 09:44:51 | Weblog

秋晴れの箱根湿生花園を10月8日に訪れた。さすが箱根、わが湘南地方とは違って、園内はもう秋深しといった風情だった。というわけで、まずは、紅(黄)葉のはじまりから。

入口付近の楓などの木々

園内の木々も

草もみじ

この日はへそ曲がり(笑)、逆順路で。そのわけは湿生林区に鷺草が咲いているという案内をみたから。カキツバタの群生地区に鷺草島があるのだ。

この島に、鷺草が群生しているが、もうほとんど終わり。わずかに残っているのを遠くから撮影。でも、なんとか、みられてよかった。今度、盛りの時に来てみたい。関係ないけど、先日、いたち川で、お久しぶりね、あなたに会うなんての中鷺(チュウサギ)をみましたよ。記事にするつもりだけど、あとまわしになっている。

この林地にはサラシナショウマやタニジャコウソウも。遅れてきたオクトリカブトも(順に)

仙石原湿原区にはワレモコウ、サワギキョウ、タムラソウ、ヤマラッキョウなどが。

そして、湿原の向こうには、すすき草原が。

さて、ここを離れて、反順路で廻りませう(笑)。相変わらず、静かな園内。

ミセバヤが盛りだった

マツムシソウ

サクラタデ

ノコンギク

園内の花だけでは、少し物足らない人のために、展示花壇が用意されています。

色違いのキリシマリンドウが、とてもきれいでしたので、それを載せて、仕舞いとします。




今年、もう一度、来れるかな。晩秋の湿生花園。

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